『戦争と女の顔』カンテミール・バラーゴフ

戦争の悲劇は戦後の哀しみに

戦争と女の顔

《公開年》2019《制作国》ロシア
《あらすじ》1945年、終戦直後のレニングラードの秋。「のっぽ」とあだ名される女性イーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)は、幼い男児パシュカを育てながら軍病院の看護師として働いているが、元兵士として従軍していたストレスからPTSDを患い、時折発作を起こしてしまう。パシュカは戦友マーシャ(ヴァシリサ・ペレリギナ)が戦場で産んだ子で預かっているのだが、ある日、戯れているときに発作を起こし窒息死させてしまった。しばらくして復員したマーシャは息子の死に愕然とする。
気晴らしにマーシャはイーヤをダンスに誘う。その途中、二人の若い男にナンパされ、ダンスホールが閉まっていたため、イーヤにその片方と外でデートさせたマーシャは、臆病な若者サーシャ(イーゴリ・シローコフ)と車中でセックスした。
マーシャは、イーヤと同じ軍病院で働き始める。そこはニコライ院長(アンドレイ・ヴァイコフ)管理下に多くの傷病兵が収容されていて、四肢麻痺で回復が見込めないステパンもいた。面接に訪れた妻と共に安楽死を懇願していて、反対していたニコライも折れて、イーヤに薬物による安楽死を頼んだ。
マーシャは爆弾の破片で腹部に傷を負っていて、子どもを産めない体になっていた。そのことをニコライに知られたマーシャは、秘密裏に安楽死を命じていることを暴露するとニコライを脅して、一方でイーヤに息子を死なせた責任を問い詰め、二人に子作りを引き受けさせる。そして、イーヤはマーシャにすがりながらニコライとセックスをした。ニコライはその後、体調不良を理由に院長の職を辞した。
その後、イーヤに妊娠の兆候はなかった。焦りを感じるイーヤと、精神的不調が著しいマーシャだったが、マーシャを支えようとするイーヤには彼女への思慕ととれる感情が芽生え始める。一方のマーシャは彼女に言い寄るサーシャとの交際が進展して、イーヤは嫉妬に苦しんだ。イーヤはニコライの自宅を訪ね、再び子作りをして欲しいと懇願するが、ニコライはこの地を去るので一緒に来ないかとイーヤを誘った。
マーシャはサーシャに誘われ、彼の両親が住む豪邸を訪れる。サーシャは両親に将来は結婚したいとマーシャを紹介するが、戦場を体験した女性兵に対して社会は差別と偏見を募らせていて、党幹部であるサーシャの母親も例外ではなかった。慰安婦まがいの行為を暗に指摘する母親に対して、マーシャはそれを煽るかのように偽悪的な嘘をつき、不妊手術をしたため代理母に子どもを産んでもらうつもりだと言い捨て、一人で邸を後にした。
帰宅途中、路面電車に長身女性が轢かれるという事故に遭遇するが、部屋に帰ると気落ちしたイーヤが待っていた。マーシャは、これからはずっと一緒にいるので、いつか授かる子どもと再出発しようと話し、二人は抱擁して涙を流した。

《感想》戦争が終わっても“戦後”の闘いはいつまでも続く。独ソ戦で激戦の地だったレニングラードには、その当時多くの女性兵を前線に送っていて、看護婦や後方支援と共に武器を取って戦ったという。しかし、戦後帰還してみると世間から、人殺しの女、戦地妻などという心無い誹謗中傷の目が向けられ、彼女らを苦しめた。何のために戦ったのか、仲間は何のために死んでいったのかと自問する。
その思いを爆発させるのが、裕福な家庭の息子に思いを寄せられたマーシャが、紹介された母親の詰問に対峙するシーン。戦場を知らない市民が抱く差別的な疑問に対し、あえてその偏見をなぞるかのように嘘の告白をするマーシャだったが、果たしてこの意図が通じたのかが気になった。マーシャの弁を額面通り受け取ったようなレビューが散見されたので。
この当時の背景をほとんど語らず、彼女の弁をフォローする表現もないので読み解きに迷うが、母親への当てつけと解さず真実と受け取られてしまうと、それだけで映画のメッセージは全く別物になってしまう。そんな危うさを感じた。
驚くほど粘っこい長回しでテンポ悪く冗長、暗くて重くて救いがない映画だが、戦争の愚かさや悲劇をストレートに伝えようという熱気は感じるし、戦争を男目線でなく“母性”という視点で捉えたことも評価できる。また、ウクライナ侵攻以前のロシア製作という点でも要注目の映画ではある。

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投稿者: むさじー

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