貧者の死に思う尊厳の平等
《公開年》2019《制作国》韓国
《あらすじ》葬儀屋のソンギル(アン・ソンギ)は、寝たきりの息子・ジヒョク(キム・ヘソン)と二人で暮らしている。ジヒョクは旅行が好きで旅行作家になるのが夢だったが、父の意向で医学部に進んで、医大の卒業旅行中の事故で下半身不随になっていた。その後の彼は自暴自棄になって死にたがり、介護士たちは皆、務まらずに辞めていくのだった。
また、大手の葬儀会社が幅をきかす昨今、ソンギルの仕事は減って家賃の支払いすらままならないため、長年営んできた店の看板を下ろし、大手の葬儀屋と提携して安定した生活を選ぶことにする。しかし、大手のやり方はドライなものだった。
ある日、アパートの隣の部屋にウンソク(ユジン)と娘のノウル(チャン・ジェヒ)が引っ越してきた。ウンソクは失業中で仕事を探していて、やがてジヒョクの介護者を探していると知ると、彼女は半ば強引に介護士として働くことにする。ジヒョクは他の介護士と同様ウンソクのことも拒絶するが、屈託のない彼女のペースに次第に巻き込まれていった。
自殺願望の強いジヒョクにウンソクは、顎や両足につけられた無数の傷跡を見せ、どれほど重い過去を背負って生きてきたかを無言で語り、ジヒョクの甘えを一蹴した。ソンギルとジヒョクは、天真爛漫で気丈なウンソクと無邪気なノウルに戸惑いながらも、二人の明るさに惹かれて次第に心を開いていく。
そんな中、ソンギルやジヒョクと親交があって、近所でククス店を営むチャンが心臓発作で亡くなった。身寄りのないチャンの葬儀は出来ず遺体の取り扱いに困惑するが、チャンに世話になった元ホームレスたちはきちんとした葬儀をしたいと言う。ソンギルは会社や役所に掛け合うが、共に火葬で済ますよう指示され、チャンの火葬をして遺骨を彼らに渡した。
そんな折、ウンソクの過去が明らかになる。DVに苦しめられた夫を刺殺し、正当防衛で罪は免れたが、裁判所から治療プログラムを命じられ、治療期間中は娘と隔離されるため逃げ回っているという。そして命令を執行する係員によって連れ去られた。
ソンギルは、ククス店従業員らの強い気持ちに心動かされ、契約解除のリスクを覚悟で協力することにする。広場から始まったというククス店、その思い出の公園にテント張りの仮設葬儀会場を作るが、暴力的な強制撤去で破壊され、ソンギルの大手葬儀社との契約は解除された。
治療プログラム中のウンソクからソンギル宛てに感謝の手紙が届いた。ソンギルはその返事に、医師になるという自分の諦めた夢を息子に押し付けていたと反省を綴った。そして、ソンギルとチャンの仲間たちは、紙花で飾った車で葬列をなし厳かに故人を見送った。
《感想》仕事が減って困窮する葬儀屋の父と、事故で下半身不随の身になり自棄を起こす息子の家庭に、娘を抱え失業中のシングルマザーが介護士として入ってくる。やがて、天真爛漫で気丈な母と無邪気な娘の明るさに触れて、ギスギスしていた父と息子は次第に心を開き、息子は生きる希望を見いだし、父は仕事への矜持を思い起こしていく。
原題は『Paper Flower』。葬儀に手向ける紙の花は、貧乏でも花を飾れるようにとの知恵の産物だという。本作に悪人は登場せず、登場人物は皆効率重視、法規遵守という社会の常識に従ったまでなのだが、人が死を迎えること、その尊厳が貧富の差で全く異なった処遇を受けることに感じる社会の不条理、憤まんが描かれていく。
また、人々の暮らしに法や規則は必ずしも公平性をもたらさず、経済優先社会にあっては組織人としてとるべき行動と、人としてのあり方にギャップが生まれてしまう。そんな矛盾を静かに真摯に描いている。ありきたりなストーリーで意外性皆無だが退屈しない。
映画では、二つの家族の過去の出来事も、明るい兆しの将来も具体には描いていない。そこに前作『大切な人を想うとき』と同様、ドラマとしては描き足りない、物足りないものを感じたのだが、やがて語りすぎないこと、抑制することで淡くホッコリした余韻が生まれたように思えた。
そして何よりの美点は情感の描き方に長けていること。ベタだが奇をてらわない作風で、人間関係の機微を丁寧に描いていることに好感が持てる。情感の描出という点では、熟練した葬儀屋の美しい所作を見せた、アン・ソンギのいぶし銀の演技に負うところも大きい。