『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』フィリッポ・メネゲッティ

老いと性、あるがままの自分で生きようと

ふたつの部屋、ふたりの暮らし

《公開年》2019《制作国》フランス他
《あらすじ》南仏モンペリエのアパートで隣人として暮らすニナ(バルバラ・スコヴァ)とマドレーヌ(マルティーヌ・シュヴァリエ)は、長年密かに愛し合ってきた恋人同士だった。互いの部屋を行き来し、夜は一緒に寝て、何気ない日常を過ごす二人だが、部屋を売ってローマに移住する計画を立てている。
独身で自由なニナは早くローマに行きたいのだが、子どもの家族が近くに住むマドレーヌは、娘と息子に計画を言い出せずにいて、そのことでニナと仲違いしてしまう。
喧嘩した翌朝、ニナは食べ物の焦げる匂いに驚いてマドレーヌの部屋に入ると、彼女の姿はなく救急車に乗せられて運ばれていくところだった。マドレーヌは脳卒中で倒れ、一命は取り留めたものの話すことも歩くことも出来ず、娘のアンヌ(レア・ドリュッケール)はリハビリが長期になりそうだと言う。
やがてマドレーヌは退院し、雇われた介護士が面倒をみることになっていたが、気がかりなニナは頻繁に顔を出すようになる。執拗に付きまとうニナの行動に介護士は不快感を示すが、ニナはお金を払うから自分に面倒をみさせてくれと介護士に頼んだ。
翌日、介護士が目を離したすきにマドレーヌがいなくなった。アンヌやニナも加わって探すと、ニナと過ごすことが多いベンチで見つかり、言葉は話せないながら二人の絆を確信するのだった。介護士は解雇され、アンヌが面倒をみてニナがそれを手伝う形になった。
アンヌは、母マドレーヌにとって父親が最愛の恋人だったと信じているが、ある日、母の若い頃のアルバムに若い頃のニナが写っていることに気づき、数年前からの友人関係と聞いているアンヌは不思議に思う。
その夜突然、マドレーヌはスーツケースに服を詰め込もうとして、アンヌに止められた。一方ニナも落ち着かず、合鍵でマドレーヌの部屋に入りベッドで共に眠った。そしてそのまま朝を迎えてしまい、それを見て混乱したアンヌに追い出される。そしてマドレーヌは施設に入ることになった。
マドレーヌの居場所を知らないニナは、アンヌの家に押しかけ真実を打ち明けるが、取り合ってくれないアンヌや息子に逆上し、窓ガラスを割って帰った。
マドレーヌも、ニナに会いたい一心で、施設からニナに電話をかけた。話せないながらマドレーヌからだと気づいたニナは、施設の場所を聞き出し居場所を突き止める。ニナは施設に行ってマドレーヌを見つけ、隙を見て施設から連れ出した。それを施設内から見ていたアンヌは、二人を追いかけた。ニナが部屋に戻ると、解雇を恨んでいた介護士の息子によって荒らされ、金は盗まれていた。駆け付けたアンヌはニナの部屋の前で彼女に詫びるが、アンヌの声は二人に届かない。室内は、好きな音楽を流して踊る二人だけの世界だった。

《感想》自由の国フランスにおいても、LGBTQとして生きることは、特に家族持ちの場合には苦労が多いようだ。本作の場合、ややエキセントリックな行動に容易に共感できないところもあるが、マイノリティが愛を求めて生き抜く姿には家族以上の繋がりと温もりがあって、子どもに疎まれる老後よりこんなのもありかな、と思えてくる。
冒頭、黒い服の少女と白い服の少女がかくれんぼをしていて、いつの間にか白い少女が消えてしまうシーン。マドレーヌが池に少女の白い服が沈んでいるのを目撃するシーン。ニナが夢の中で池の中から白い少女を助け出すシーン。脈絡なく挿入されるこれらのシーンが何のメタファーなのか、しばらくは分からなかった。
監督のインタビュー記事を読んで腑に落ちた。いわく「自己検閲」についての映画であって、意味は世間一般の評価基準に根差した周囲の反応によって、自分の意見の表明を控えてしまうこと、とある。
映画においては白い少女が“あるがままの自分”で、黒い少女が“偽りの自分”のようで、一旦“白い少女”は二人の前から消えてしまうが、やがてマドレーヌの“白い少女”は池に沈んだまま、ニナの“白い少女”は池から救出されたと解釈できそう。結局、偽りの自分から“あるがままの自分”に戻るまでの二人の違いと言えそうだ。
このメタファー表現はややマニアックに過ぎるという気がするが、雄弁な映像表現、サスペンス調の味付けなど、長編デビューの作品とは思えない練れたものがある。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!