『アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台』

囚人たちの『ゴドー』で問う閉塞と希望

アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台

《監督》エマニュエル・クールコル《公開年》2020《制作国》フランス
《あらすじ》フランス郊外の刑務所に、囚人たちのワークショップ講師として招かれた舞台俳優のエチエンヌ(カド・メラッド)。売れない役者の彼は、妻や娘に愛想をつかされていた。
ワークショップに参加するのは、中年のパトリック、黒人のアレックス、若者ジョルダン、移民のムサ、口達者なナビルの5人。手始めに彼らが以前から練習している「寓話」に取り組むが、意欲は全く見られず、どうにか形にして発表会を済ませた。
次の課題に選んだのはベケットの不条理劇『ゴドーを待ちながら』。エチエンヌは、希望を持ち出所を待っている彼らに「待つ男たちの寓話」はぴったりの作品だと思った。エチエンヌの芝居に対する情熱は次第に囚人たちの心を動かし、見物していた掃除係の囚人ボイコも加わった。
さらにエチエンヌは舞台監督の友人ステファンに頼み込んで、劇場での公演を取り付ける。所外での活動に難色を示した女性刑務所長も、エチエンヌの情熱に押されて認めることになった。そんなある日、ナビルが辞意を表明し、彼を追い出す形で服役者のボス的存在であるカメルが加わった。
幾多の困難を越えて迎えた刑務所外での初公演。劇の最後にボイコがゴドーを装って登場するというアドリブ付きだったが、危なげな芝居が観客に受けて、思いがけない反応に一同は歓喜する。この公演をきっかけにオファーが殺到し、ツアー公演が始まった。
そしてツアーの最終日。大ヒット上演で調子に乗った囚人たちは、公演前に勝手に美容院に行ったりして浮かれ出した。公演を終えて、それまでの猛特訓と緊張感から解放された囚人たちは、バスの中で酒を飲んでどんちゃん騒ぎ、刑務所に着いて裸踊りを始めた。
そんな彼らに、パリ・オデオン座からのオファーが届く。しかしツアー最終日の騒ぎは所長や判事の逆鱗に触れ、全員懲罰刑の彼らに外出許可は下りなかった。それでも、諦めきれないエチエンヌの猛アタックで実現にこぎつける。
オデオン座公演の日、客席には多くの関係者が集まった。ところが上演時間が近づいても誰も現れず姿が消えていた。彼らは逃走したのだ。事態を理解したエチエンヌはステージに上がり、観客に詫びると共に、自らの舞台にかける思いや彼らのことを語り出した。
『ゴドーを待ちながら』を演目に選んだのは、ベケットにとっての戯曲が“自由になれる逃避”であって、何も起こらない物語であること。彼らは待つことを知り尽くしているので、彼らにしか出来ない演技があって、プロの役者が失ったものを彼らが持っていたこと。彼らは戻らない、ゴドーのように。
観客は次第にエチエンヌの独白に惹き込まれていった。そこにカメルからの電話が入る。エチエンヌはカメルに観客の拍手喝采を聞かせた。

《感想》驚愕のエンディングにまず浮かんだのは「何故?」。囚人たちはそれまでも、いつ脱走してもおかしくない状況にあって、危うく脱走しかけたこともありながら、エチエンヌとは不思議な信頼関係で繋がっていた。しかし、脱走者からの言葉は「許してくれ、もう無理だった」。
確かに、エチエンヌの囚人たちの芝居にかける思いが高じていく様子はうかがえるのだが、それに比べて囚人たちの切実な願いや心境の変化はあまり描かれず、決定的な心理が読めなくて“唐突”という印象を持ってしまった。
脱走の理由は生活の落差に耐えられなかったということか。舞台で称賛され束の間の自由を享受しても、刑務所に戻れば全身検査の屈辱と囚人生活が待っている、その繰り返しだった。当てのない希望にすがって待ちながら生きている閉塞感、彼らの思いの中に『ゴドー』の世界が入り込んで、たどり着いたのは「もうゴドーなんて待たないよ」。
本作は「人生とは希望を待ち続けること」という真理を描きながら、自由を奪われた受刑者の姿に、現代人の閉塞感や自由への希求を重ねているのではないか。ベケットが言う“自由になれる逃避”を受刑者が求めているように、現代人もまた求めているのだ。そのことを謝罪の場で演劇の素晴らしさと共に語るエチエンヌの姿は輝いていた。
人物の背景は雑駁にしか、事件は表層しか描かなかったからこそ、いろんな“読み”が出来る深みが生まれた、皮肉にもそう思えた。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!