移民社会の怒れる若者たち
《公開年》1995《制作国》フランス
《あらすじ》パリ郊外のバンリューと呼ばれる移民らが暮らす貧しい公営住宅地帯。何かと怒りっぽいユダヤ系のヴィンツ(ヴァンサン・カッセル)、お調子者のアラブ系のサイード(サイード・タグマウイ)、ボクサーで沈着冷静なアフリカ系のユベール(ユベール・クンデ)の三人は、この付近ですることもなくいつもつるんでいる。他にも多くの若者や中年男がブラブラしているが、仕事がないのだ。折しも移民の若者アブデルが警官から暴行を受けて重体となる事件が起こり、それに抗議する形で住民によるデモと暴動が起こった。
その翌日、暴動で警官が拳銃を紛失したという噂が流れるが、ヴィンツがその拳銃を拾っていた。ヴィンツはその拳銃を二人に見せ、入院中の友人アブデルが死んだらこれで警官を殺すと宣言する。三人はアブデルの見舞いに行くが警官に追い返された。
夕方、三人はサイードが知人アステリクスに貸した金を取り立てに、彼が住むパリ市内に向かった。パリは別世界の華やかさで、彼らは違和感を覚える。拳銃とヌンチャクを携えロシアンルーレットで挑む彼のエキセントリックな出迎えにうろたえ、結局借金を取り返せないまま三人はアパートを後にした。すると人種差別を標榜する自警団に襲撃され、ヴィンツは逃げおおせたが、ユベールとサイードは捕まり酷い拷問を受けた。
深夜、自警団に釈放された二人は終電に乗り遅れ、街でヴィンツに出会って、三人は深夜の現代アートの画廊で開かれていたパーティーにもぐり込んだ。そこで女性をナンパしようとして追い出され、繁華街の街頭テレビでアブデルの死を知る。ヴィンツはいたたまれなかった。明け方、不良グループに絡まれ、拳銃で脅して一人を取り押さえるが、ヴィンツはこの男を撃つことはできなかった。三人は始発の列車で郊外に戻った。
朝の駅前、ヴィンツは「自分が持っていてもロクなことはない」とユベールに拳銃を預けてサイードと共に歩き出した。するとそこにパトカーが止まり警官が現れてヴィンツと揉み合いになる。振り返ったユベールが駆け付けるが、警官が向けた拳銃が暴発してヴィンツが倒れた。日頃冷静なユベールが激情して警官と拳銃を向け合ってにらみ合い、それを凝視するサイード。映像は暗転し銃声が聞こえてエンド。
《感想》この当時、高度成長のために多くの移民を受け入れ、それに伴って移民への差別と貧民街の犯罪が多発するようになったフランス社会。映画は移民社会での貧しい暮らし、人種差別の実態、権力による暴力をリアルに辛辣に描いている。また「ビルの50階から飛び降りた男の話」に示されるように、「まだ大丈夫!」と自分に言い聞かせながら走る若者や、時代に翻弄され社会から疎外された人たちの怒りが憎しみに変わっていく様が生々しく描かれる。
暴動シーンにはニュース映像を挿入しドキュメンタリー風の作りではあるのだが、一方でエピソードの盛り込み方には遊びがあって、ユニークな人物の登場に笑いを誘われ、その独特のノリとリズムが面白い。リアリズムとエスプリが同居しているようだ。
公園では少年の延々続く無駄話に付き合わされ、エキセントリックな借金男には拳銃とヌンチャクで迎えられ、トイレのじいさんには意味不明の訓話を聞かされ、自動車泥棒を手伝い警察から守ってくれた不思議な男にも出会う。
中でもシベリア抑留から生還したじいさんが、社会の変革と警察への報復で揉める三人に話す「恥がさらせず凍え死んだ男の話」が面白くて、その意図を考え込んでしまった。結局、郷に入れば郷に従え、生き残るには恥を忍べ、という一般的なフランス市民が抱く感情なのかも知れない。それにしても、ウンチクがぴったりハマるじいさんだった。
暴力に溢れた世界なのだが、ダンスやポップな音楽もあり、怒れる若者の行動にはどこかアドレナリンの発散といった独特のしなやかさがあって、それに常識外れの大人たちが絡む展開がとてもいい。重くなり過ぎない配慮かも知れないが、この絶妙なバランス感覚に救われる。そして解決の見えない永遠のテーマだからこそ、今でも生々しく響くのかも知れない。邦題のシンプル過ぎる重さでだいぶ損をしている気がする。