深い悲しみをユーモアと歌で包んで
《公開年》1990《制作国》フィンランド
《あらすじ》フィンランドのヘルシンキ。マッチ工場で働くイリス(カティ・オウティネン)は、同居する母と継父を養い、家事も押し付けられる日々を送っている。それでも年頃なので、時には化粧をしてディスコにも行くが、誰にも声を掛けられず落胆するのだった。
給料日の帰り道、いつもは地味な服ばかりのイリスは、ショーウィンドウの派手なドレスに目を奪われ衝動買いしてしまう。イリスの給料を当てにしている両親は激怒し、義父に頬を叩かれ返品を命じられた。
しかしイリスはめげることなくドレスを着てディスコに繰り出した。そこでアールネ(ヴェサ・ヴィエリッコ)という男に出会い、チークダンスを楽しみ、誘われるままに彼の部屋で一夜を共にしてしまう。朝になると彼はスーツ姿で早々と出勤し、残されたイリスは電話番号を記して帰った。
イリスは初めて出会った愛に心ときめく日々を過ごすが、いくら待ってもアールネからの連絡はなかった。そこで家を訪ねると彼から「明日家に行く」と言われイリスは益々有頂天になる。しかし翌日、イリスの家まで迎えに来てレストランに連れて行ったアールネの口から、一夜の遊びで愛していないと告げられイリスは絶望の淵に追いやられた。
ところが、悲しみに沈みがちな日々を過ごすイリスに思いがけない事態が起こる。アールネの子どもを妊娠したのだ。イリスはこれを喜び、手紙にしたためて直接アールネに届けた。しかし返事は「始末してくれ」の一文と小切手のみだった。怒りと絶望で外に飛び出したイリスは自動車事故に遭ってしまう。入院中のイリスに義父は、家から出て行くように告げた。
退院したイリスは荷物をまとめて、兄の部屋に身を寄せた。兄は母や義父と折り合いが悪く家を出て一人暮らしをしている。何度も裏切られたイリスはどこか吹っ切れたようで、ある思いを胸に秘めていた。薬局に行き、ネズミ捕りの薬を購入し、それを水に溶かして瓶に詰めた。
イリスはアールネの部屋を訪ねて酒を要求し、彼の目を盗んでグラスに殺鼠剤入りの水を混入させて、小切手を返して別れを告げ部屋を去った。アールネは毒入りの酒を口に運んだ。その後、バーに入ったイリスは声を掛けてきた男のグラスにも毒を入れて去った。
次にイリスが向かったのは実家だった。豪華な食事を作り、残った毒を全て酒のボトルに注ぎ入れた。そして、別室で両親が食事をする様子を見届けた後、静かに家を後にした。
翌日もマッチ工場で淡々と働くイリスだったが、二人の刑事が訪れ彼女は連行された。
《感想》マッチ工場に勤める少女(?)が果たす、もてあそんだ男、虐げてきた両親への復讐譚で、悲惨で救いのない物語。カウリスマキ作品の多くは、平凡な人間が誠実な日々を生きてやがて幸福が訪れるパターンで、希望の予感を残して終わるものだが、本作は全く希望が見えないままだ。
なのだが、やはり同監督らしく、その復讐劇を必ずしも暗く重くは描いていない。ブラックユーモアを交えて、感情移入せず淡々と描くことによって、悲しみと可笑しさがない交ぜになった不思議な世界が生まれている。殺鼠剤購入時の店員との問答「効き目は?」「イチコロ」「素敵!」には笑ってしまった。
また、通常は時代を特定せず普遍的な物語にしようという姿勢が見えるのだが、本作は特定のニュース映像を背景にしている。それは天安門事件と教皇ヨハネ・パウロ2世の北欧訪問。どんな意味を込めているのか明らかではないが、前者は強者、支配者への抵抗、後者は神の無慈悲を匂わせているように思えた。それくらい、虐げられた不幸のどん底にいて、誰にも支えてもらえない孤立無援のヒロインだった。
そして最も響いたのが、ヒロインの気持ちを代弁するかのように流れる歌。いつも通りの寡黙な映像なのだが、挿入歌がもたらす独特の味わいが悲惨な物語を大きく包んで、優しく温かい世界を作り出している。どこか昭和のB級映画のような不思議な趣きを感じた。
鑑賞後の余韻は『必殺仕置人』を観終えた感じか。爽快感とは言えないが、毒をもって毒を制する痛快さのようなものがある。まさにカティ・オウティネン劇場で、少女と呼ぶには少し無理があるが、彼女の存在感に圧倒された。