夢見るダメ男の飄々とした旅
《公開年》1988《制作国》フィンランド
《あらすじ》フィンランド最北端のラップランド。炭鉱夫のカスリネン(トゥロ・パヤラ)は、鉱山の閉鎖によって失職し、同じく仕事を失い絶望した父は拳銃自殺してしまう。父から譲られたキャデラックは幌が閉まらないため、真冬なのにオープンカーで、彼は新天地を求めて南へと向かった。
ヘルシンキに向かう途中、二人組の強盗に所持金を全て奪われたカスリネンは、仕方なく日雇いの仕事で糊口をしのぎ簡易宿泊所に泊まる。
そして、駐車違反を取り締まっている女性イルメリ(スサンナ・ハーヴィスト)に出会う。何か惹かれるものを感じたカスリネンは彼女を食事に誘った。食事が済んで誘われるまま彼女の部屋に泊まる。イルメリは夫の裏切りで離婚し、幼い息子リキと暮らすシングルマザーで、家のローン返済のため、いくつもの仕事を掛け持ちしているのだった。
翌朝はリキに起こされ、職安に行くも仕事はなく、仕事を求めて訪ね歩くが空振りで、以前の日雇い仕事も雇用主の逮捕で諦めることになる。簡易宿泊所に戻ると宿泊費未払いで追い出され、ついにキャデラックを売却するが、旧型だからと買い叩かれてしまった。
すると偶然、いつぞやの強盗の一人を発見する。思わず追いかけ、ナイフを奪って殴りかかるが、施設の警備員に取り押さえられて逮捕された。1年11か月の懲役刑になる。
同房のミッコネン(マッティ・ペロンパー)は寡黙な変人だったが、二人は意気投合する。イルメリが面会に来た際、隠れて作った指輪を渡しプロポーズした。やがてカスリネンは脱獄を考えるようになり、イルメリの差し入れの中にヤスリを忍ばせて届けさせた。そのヤスリを使って二人は脱獄を果たし、中古車店からキャデラックを取り戻し、イルメリを呼んでカスリネンは簡素な結婚式を挙げた。
カスリネンたちは国外逃亡のため、裏ルートでパスポートを手に入れようとする。そのため銀行を襲って金を用意した彼らだったが、パスポートの売人に裏切られミッコネンが刺されて重傷を負った。カスリネンは売人に発砲し、イルメリを呼び出し、瀕死のミッコネンをキャデラックに運び込んだ。自分の遺体はゴミ捨て場に埋めてくれというミッコネンの希望に沿って、カスリネンとイルメリは、沈痛の面持ちで彼の遺体を埋めた。
そしてリキと合流し、夜の港に到着する。運び屋に金を払い、三人はボートでメキシコ行き客船アリエル号に向かった。希望と不安がない交ぜになった表情のカスリネンたち。そこに名曲『オーバー・ザ・レインボウ』が流れる。
《感想》鉱山の閉鎖で失業した男は新天地を求め、真冬の道を幌の壊れたオープンカーで南に向かうが、明確な当てがある訳ではない。「ここではないどこか」に行けば何とかなるという淡い期待を胸に前向きに生きようとするのだが、不幸に不幸が重なって‥‥波乱万丈の日々が続く。しかし、どん底の暮らしでも、どんな災いに当たっても絶望しない、その飄々とした生き様が見事だ。
監督が描き続けるのは生き方が下手で不器用な男。本作でも、夢見ても叶わず行動すれば裏目に出るというパターンで、社会的不平等や不正義を告発する意図が見えるが、声高にそれを叫ぶのではなく、耐えて希望を見いだす姿にメッセージが集約されている。だから一層、ほろ苦さが染みる。
そして切なさ、愛おしさを盛り上げるように挿入される音楽が絶妙。まさか『オーバー・ザ・レインボウ』で締めるとは思わなかった。
映画全体はハードボイルドの味付けなのだが軽めのノリで、バイオレンスなど痛々しいシーンは効果音で代えて映像にしない。監督のこだわりのようで、ハリウッド風リアリズムを拒否し、観客の想像力を信頼して、余計な装飾や刺激は排除する。あくまでシンプルで機能的でスタイリッシュ、まるで北欧デザインのような映画だ。
ただ、本作に関しては枝葉を落とし過ぎたようで、淡々とした中に込めた情感とか、しみじみとした男女の機微があまり感じられなかった。