『パラダイスの夕暮れ』アキ・カウリスマキ

地味な男女の不器用な恋物語

パラダイスの夕暮れ

《公開年》1986《制作国》フィンランド
《あらすじ》フィンランドのヘルシンキ。独身の中年男ニカンデル(マッティ・ペロンパー)はゴミ収集の仕事をし、夜は英語を学んだりビンゴに興じたりと、孤独で退屈な日々を送っている。ある日、組んで仕事をする同僚から、独立するので手を貸して欲しいと誘われた。返事は保留にしたが数日後、その同僚が仕事中に倒れて亡くなってしまう。
悲しみに暮れるニカンデルは泥酔して店で騒ぎを起こし、気づくと留置場にいて、そこでメラルティン(サカリ・クオスマネン)という男に出会う。酒好きの彼は失業中の身で、早速仕事の相方に誘った。
ある日、馴染みのスーパーに寄ったニカンデルは、ケガの手当てがきっかけでレジ係のイロナ(カティ・オウティネン)と知り合い、後日デートに誘った。しかし、何をしたらいいのか分からず、ビンゴホールに連れて行って彼女に呆れられ振られた。
翌日、イロナは仕事中に店長から呼び出され、突然解雇を告げられた。腹を立てた彼女は、衝動的に店の金庫を持ち出してしまう。そしてガソリンスタンドにいたニカンデルに声を掛けてドライブに誘った。喜んだニカンデルはメラルティンから金を借り、郊外のホテルに行ってシングルの別々の部屋に泊まった。
翌朝、持ち出した金庫がイロナには開けられず、ニカンデルが開けると中には大金が入っていて、返すよう忠告する彼にイロナは任せることにした。家に戻ったイロナは張り込みの警官に捕まり連行されるが、その間にニカンデルは金庫を店に返し、まもなくイロナは釈放される。荷物をまとめて部屋を出たイロナは行く当てもなく、ニカンデルの部屋に転がり込んだ。
イロナはブティックで働き出すが、次第にニカンデルを邪険に扱うようになり、メラルティン夫妻やニカンデルと共に映画に行く約束をすっぽかしてしまう。翌朝、気まずいイロナと冷たい態度のニカンデルは口論になり、イロナはそのまま家を出て行った。ニカンデルは仕事が手につかないほど落ち込み、一方のイロナもニカンデルに未練を残していた。
イロナは職場の店長に言い寄られていて、レストランで口説かれるが、ニカンデルのことが忘れられずに早々に席を立ってしまう。その足でニカンデルの部屋に行くが彼は留守で、待てども帰ってこなかった。その頃ニカンデルは、酒を飲んでの帰りに暴漢に襲われ外で気を失っていた。
ケガをして入院したニカンデルは、メラルティンに頼んで病院を抜け出し、イロナの職場に向かった。仕事中のイロナに詰め寄ったニカンデルは、突然「新婚旅行に行こう」と言い出す。「船でタリンに行こう」「食べていける?」「毎日イモだ」。イロナはニカンデルに付いて行こうと決めた。メラルティンに見送られ、二人を乗せた客船は港を離れていき、愛の歌が流れる。

《感想》ゴミ収集人の中年男と、スーパーのレジ係の女。地味で孤独で不器用な男女が出会い、くっついたり離れたりしながら、愛を育んでいく物語。
男は一途だが女は揺れる。スーパーのレジ係からブティック店員になるとゴミ収集人の彼を見下したり、でも金持ちそうな店長に言い寄られても、なぜか彼のことが気になったり‥‥。そんな取り留めのないエピソードを、オフビートな展開で情感を込めて描いていく。
セリフは少なく二人とも無表情なのだが、心情は痛いほど伝わってくる。それを応援するかのように流れる音楽はジャズ風、ムード歌謡風、演歌風で、どことなく60年代日活無国籍アクション映画の雰囲気が漂う。「食べていける?」「毎日イモだ」のやり取りは小林旭と松原智恵子でも似合いそうだ。この毅然とした刹那的無計画さがいい。
印象的なのは、こだわりが見える描写の克明さ。冒頭、ニカンデルが従事するゴミ収集作業が延々続くのを見て、なるほど国によってずいぶん違うものと感心し、帰宅してから夕食を調理する様子が細かく描かれるのを見て、男一人暮らしの生活感と哀愁が垣間見える。何気ない当たり前のシーンなのだが、しっかり根を張った人生をきちんと描くという気骨のようなものを感じる。
監督にとって長編3作目で、後の『街のあかり』などに比べると、シナリオも演出もシンプル&ストレートだが、それ故の真っすぐな思いが伝わってくる。そして切なくも愛おしい音楽に彩られ、独特の色味に包まれた温かい世界が妙に心地いい。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。


投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!