『カミュなんて知らない』柳町光男 2006

人の本能は虚構と現実をさまよう

カミュなんて知らない

《あらすじ》舞台は都内の某大学。授業の映像ワークショップで製作する『タイクツな殺人者』のクランクインを5日後に控え、助監督の久田喜代子(前田愛)は電話をかけている。主演俳優が突然降板してしまったため代役探しに奔走しているのだが、その結果演劇サークルの池田哲也(中泉英雄)に決まった。
監督を務めるのは松川直樹(柏原収史)だが、恋人のユカリ(吉川ひなの)に付きまとわれていて、松川はうんざりしつつも裕福なユカリに借金までしているため別れられないでいる。
製作する映画は、実際に老婆殺人事件を起こした高校生の犯罪を追うドキュメンタリーが原作で、「人を殺したかった、殺したらどうなるか知りたかった」という主人公の犯罪心理を描いたもの。それを巡って松川と喜代子は激論を交わし、他のスタッフは準備に奔走している。指導に当たるのは、かつて映画監督をして今は大学で映画を教えている中條教授(本田博太郎)で、2年前に妻を亡くし孤独な生活を送る彼は、女子学生のレイ(黒木メイサ)に恋していた。
撮影スタッフの間でも恋の火花が散っている。松川はスクリプターのアヤと浮気しているところをユカリに見つかり、その密告をしたのがカメラ担当の本杉で、助監督の喜代子は松川と言い争いをしながらも淡い感情を抱いているようだった。主役の池田は持ち前の妖しさで周囲を翻弄している。
中條は、社会人学生の大山がレイと親しくしているのを見て、彼を介して食事の席を設けるが、何と二人は夫婦だったと知り打ちひしがれた。
映画の撮影が校舎の屋上で行われたその時、ユカリがフラフラとおぼつかない足取りで歩いてきて、手すりの外に立って思いつめた表情をしている。それを見た松川がユカリの元に走って手を差し伸べた瞬間、松川の姿が消えてしまう。事態に気づいたスタッフが慌てて駆け寄ると、松川は屋上から転落していた。後にはぼんやりと空を見上げるユカリが残されていた。
松川は一命を取り留め、警察の事情聴取にユカリは「松川を突き落としたらどうなるか試したいと一瞬思ったが、その後は記憶がない」と供述した。
喜代子が松川の代わりに監督を務めることになり、撮影が始まった。初日の撮影は、主人公の高校生役の池田が通りかかった民家に入り、台所に立つ老婆をハンマーで撲殺するシーンだ。リハーサルが終わり、本番もOKが出たが、その後さらに老婆を追い詰め包丁で刺し殺すと、池田は走って逃走した。その様子をカメラが追う。実はそこまで含めての撮影だった。
スタッフロールに被るように、撮影スタッフが畳に広がった血糊を拭き取るシーンで本作は終わる。

《感想》カミュ『異邦人』の主人公は「太陽がまぶしかったから」と殺人を犯し、本作の劇中劇『タイクツな殺人者』の主人公も「人を殺したかった、殺したらどうなるか知りたかった」と殺人に至る理由を述べている。人は誰も深層に不条理な欲望を抱えていて、本当の動機は見えない。
見えないという点では、本作に登場する映画製作スタッフたちも、現実に起きた老婆殺人事件をモチーフに虚構の映画世界を作るうち、現実と虚構の境界線が次第に揺らいでいき、犯人の不条理な実像を探るうち正常と異常の境界線も曖昧になっていく。混沌とした世界だ。
また物語の中で、女子学生に恋した大学教授に対し、女子学生とその夫は「落とせるかどうか」を試し、恋人に振られ自殺しようとした女性は、止めようとする恋人を「突き落としたらどうなるか」試したかったと供述する。そんな風に単に「試したい、知りたい」だけの行為が人を傷つけていく。
日常のそうした欲望も虚構の内に収まっていれば平穏なのだが、そのタガが緩んだ時どうなるか。映画の登場人物という虚構を演じているうち、現実と虚構の枠を超えて妄想世界に入ってしまったら‥‥。
ラスト、主人公は刺殺後に走って逃走し、撮影スタッフが畳に広がった血糊を拭き取るシーンで終わる。それが現実なのか撮影なのか妄想なのか、劇中劇のフィクションのはずなのにその枠組みが一瞬はずれたかのようで、観客は戸惑い戦慄し、ハッキリした結末を思い描けないまましばし呆然とする。
それまで「試す」という行為に潜む人間の理不尽さや不条理を描きながら、最後は観客を試しているような不敵な挑戦状のように思えた。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!