『マイ・ブルーベリー・ナイツ』ウォン・カーウァイ

異邦人が描くアメリカ的人生模様

マイ・ブルーベリー・ナイツ

《公開年》2007《制作国》香港、中国、フランス
《あらすじ》NYに住むエリザベス(ノラ・ジョーンズ)は、恋人に他の女性がいることを知って落ち込み立ち直れずにいる。そんな彼女は、恋人の家の近くにあるカフェ・クルーチのオーナー、ジェレミー(ジュード・ロウ)が作るブルーベリーパイを食べながら話をすることで癒されていた。
ジェレミーも毎日のように来るエリザベスをいつしか心待ちにするようになり、二人の距離が縮まったかと思われたが、ある日、元カレと彼女が一緒にいるところを目撃してショックを受けたエリザベスは、ジェレミーの前から姿を消して旅に出る。
メンフィスにやってきたエリザベスは、昼間は食堂、夜は酒場で働き始めた。夜の酒場には酒を飲み続け居座っている男、アーニー(デヴィッド・ストラザーン)がいて、話すようになる。彼は昼間、警察官として働いているが、どうやら妻から離婚を切り出されているようだ。毎日のようにバーにやってくる彼はアルコール依存症になっていた。
ある夜、店に彼の妻スー・リン(レイチェル・ワイズ)がやってくる。外には別の男が待っていて、トイレを借りに寄っただけと立ち去ろうとする彼女をアーニーは止めるが、彼女は振り切って行ってしまった。
ある日、妻の男ランディが入店し、アーニーが彼を殴り救急車で搬送される騒ぎになった。夜、怒ったスー・リンが酒場を訪れてアーニーと口論になり、アーニーは拳銃を向けたが、撃つことはできなかった。
アーニーは街角で自動車事故を起こして亡くなった。後日、スー・リンが憔悴しきった顔で店を訪れ、彼の愛情が息苦しくて逃げ出したこと、事故現場は二人が出会った場所だったことを話し、彼が亡くなり心を痛めていると打ち明けた。彼女もまたアーニーを愛していたのだった。
メンフィスを後にしてアリゾナのカジノで働き始めたエリザベスは、ギャンブラーのレスリー(ナタリー・ポートマン)と知り合う。手持ちの金がなくなったレスリーは、車を担保にエリザベスから金を借りるが、結局ゲームに負け、二人は金を都合してくれる人がいるというラスベガスに向かう。
そこには疎遠だったレスリーの父親が入院していて、父娘の確執があるらしく、病院から危篤の連絡が入っても、いつもの父の虚言と取り合わなかった。しかし、病院に着くと既に父親は亡くなっていた。父の死を知ったレスリーは涙ながらに父から受けた愛と、父への思いを語った
旅に出てからおよそ1年が過ぎ、エリザベスはNYに戻った。元カレの部屋は貸部屋となり、時が流れたことを実感する。カフェ・クルーチを訪れた彼女を入り口で出迎えたのはジェレミーだった。以前のように話しながらブルーベリーパイを食べ、二人はカウンター越しにキスを交わす。エリザベスはようやく過去の想いから抜け出し、新しい愛へと踏み出したのだった。



《感想》突然恋人に裏切られた傷心の女性が、一人でアメリカ横断の旅に出て自分を見つめ直す1年。行く先で出会う人たちの様々な人生に触れて、いろんな愛の形を垣間見て、過去の想いから抜け出していくというストーリー。
香港、中国、フランスの合作、アメリカを舞台にした英語劇というウォン・カーウァイにとってはかなりの異色作なので、彼のファンのウケは今一つのようだがそれほど悪くない。確かに従来のカーウァイらしさは影を潜め、外国人監督が撮ったアメリカ映画という雰囲気だが、取り巻きの役者が粒揃いでサラッと流れるストーリーでも目を留めてしまう。
特にメンフィス編がいい。デヴィッド・ストラザーンの切なさと哀愁、レイチェル・ワイズの圧倒的美貌と存在感に目を奪われ、控え目でキュートなノラ・ジョーンズも悪くないのだが、この二人に絡むとやや影が薄い。
映画的に“ストーリーの淡白さ”は否めないところだが、それより監督自身が異邦人であることを強く感じた。描かれる様々な人生に深くコミットしていないというか、物語への強い思いとか没入感が薄い、そんな印象を持った。
だからその分、登場人物を慈しむように遠くから見守る視線を感じるのかも知れない。その物語との距離感みたいなものが、この映画の居心地の良さに繋がるのではないかと思う。そして音楽は『パリ、テキサス』のライ・クーダー、けだるくブルーな空気で大きく包み込んでくれる。心地良く浸れる。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!