死を前に思う恋と友情と懺悔
《公開年》2021《制作国》タイ
《あらすじ》NYでバーを経営しているボス(トー・タナポップ)は、かつての親友ウード(アイス・ナッタラット)から、白血病で余命わずかなのでタイに来て欲しいという電話を受けた。バンコクに行きウードのやつれ具合に驚くが、元カノに返したい物があるので車の運転を頼むと言われ、渋々同行することになる。
最初に会ったのはダンス教室を開くアリス。NYでダンスを学んでいた彼女は、ウードと一緒に帰国したのだが、その後二人は別れた。嫌がるのを無理やり会わせて気まずい空気が流れたが、次第に思いが溢れた二人はダンスを踊って別れた。
次は女優のヌーナーで、彼女は撮影中だった。休憩中にウードが彼女に声をかけるが、NYで女優になる夢を二人に邪魔されたと恨んでいる彼女は怒り出し、彼女から平手打ちを食ってしまう。しかし撮影に入ると、彼女の激高ぶりが迫真の演技になって周囲から絶賛される。ボスとウードは静かにその場を去った。
三人目のルンはカメラマンの卵としてNY時代を過ごし、ウードと親しい関係にあったのだが、今は結婚して子どももいる。電話では急用で不在と告げられ、居留守と感づいたボスが詰め寄ると、「人の気持ちも考えて」と頑なに拒否されてしまう。
その後二人は、大きなホテルの最上階にあるボスの実家に立ち寄る。ボスが未成年だった頃、若く美しい母が「姉」を装いホテル経営者と再婚したのだった。ボスとウードの話題はボスの元恋人プリムのことになる。ホテルのバーでバーテンダーをしていたのがプリムで、二人はそこで出会った。
プリムにはNY で一流のバーテンダーになりたいという夢があり、家では邪魔者扱いで留学を勧められていたボスが留学先をNYに決めて、二人は一緒に暮らし始めた。プリムはタイ料理店で働き、そこで出会ったのがウードだった。ウードの紹介でプリムはバーテンダーとして働き始め、ボスとの間に誤解と亀裂が生まれて二人は別れてしまう。プリムに好意を持つウードは住む場所を提供し応援してプリムに求愛するが、彼女はボスへの愛を告げて部屋を去った。プリムを探すボスにウードは、彼女は新しい恋人とこの街を去ったと嘘をつく。そして、やけ酒で悪酔いしたボスが暴漢に絡まれて線路に落とされる現場を目撃すると、ウードはそれを助けて二人は一緒に住み始めた。
その後、ウードは三人の女性と付き合い、アリスと共にタイに帰ったのだが、ウードはNYでの全てを告白して謝り、ボスにプリムの居場所を伝えた。
3か月後、ボスの母がNYの店に来て、ウードのメッセージが入ったスマホを置いていった。贖罪の気持ちと願いが込められていた。
再びパタヤにやってきたボス。見かけない「バー」の標識に目を止めて車を進めると、後を追う車には運転するウードの姿があって彼は満足気に微笑んだ。その先のビーチには仮設のバーがあって、バーテンダーのプリムと再会した。
《感想》原題は「さよならの前に」の意で、死期迫る男が元カノや友だちに何かを返すために旅をする物語。
前半は元カノたちとの再会と過去の恋模様が描かれるのだが、オークベープ・チュティモンが出ているところから『ハッピー・オールド・イヤー』を想起した。死期が迫っているとはいえ「罪悪感から救われようとする身勝手さは捨てろ」と言いたくなる。感傷以外の要素はなく共感しにくい。
後半になると、ボスの抱える事情や哀しみに視点が移り、ウードのボスに対する贖罪の思いと魂胆が明かされる。それまで親友そのものに見えた二人の影の部分が見えてきて、残りの命を使ってでも罪滅ぼしがしたいという思いが伝わってくる。これも身勝手だが、罪悪感から救われたならよしとするか。
ウォン・カーウァイ製作という謳い文句だった割にあまり“らしさ”を感じることなく、男の友情ものは香港風でもあるが、軽めのアメリカンテイストも感じさせる。
また、最後に元気なウードが現れたりして困惑させられた。全てウードの思惑通りだったのか、一旦死を覚悟した男が元カノやボスとの再会によって生きる意味を見いだして再起したのかとも思えたが、やはり違う。ボスの母が言う「ウードは残念だった」の言葉通りウードは亡くなり、ボスの行動を見守るように車を運転するウードの姿は「幻想」だったのだ。このファンタジー風のスタイリッシュなオチが、やはりカーウァイらしい。
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