搾取される側の怒りを描く古典的名作
《公開年》1948《制作国》イタリア
《あらすじ》シチリアの小さな漁村、トレッツア。漁師たちは夜通し漁をして朝方に港に戻る。ヴァラストロ家では、長男ウントーニ(アントニオ・アルチディアコノ)と次男コーラ(ジュゼッペ・アルチディアコノ)が漁に出ていて、家族はその帰りを待っている。兵役で外の世界を体験したウントニーノは仲買人が貧しい漁民たちを支配する村の現状に批判的だが、彼の祖父のような老人たちは現状に満足しているのだった。
ある日、仲買人の横暴を止めたいと、老人たちを説得して若者たちが仲買人との価格交渉の場に立つが、諍いから大喧嘩になり、ウントニーノら若い漁師が逮捕される。だが、仲買人も若い漁師がいなくなって儲けが半減し、訴えを取り下げたため漁師たちは釈放された。
しかしウントニーノは仲買人から独立することを決意し、家を担保に資金を借りて魚の塩漬けの製造販売をすることにした。やがてイワシの大漁で一家には希望が満ち溢れる。ウントーニは恋人ネッダとの間に愛を育むが、一方、長女のマーラ(ネッルッチャ・ジャムモーナ)に思いを寄せる貧しい左官の二コラにとって、彼女は高嶺の花になってしまった。
ある日、村を襲った嵐でウントーニの船が帰らず、迎えの船に曳かれて港に戻るが、船は壊れて漁具を失い、たちまち失業者になってしまう。塩漬けにしたイワシを売るしかなく、二束三文で仲買人に買い叩かれ、家は銀行に差し押さえられた。
次男コーラは村を訪れたよそ者に誘われて家出をし、後にそれが密輸の仕事だと分かる。祖父は病気になり、次女のルチアはずっと言い寄っていた警察署長の愛人になってしまった。マーラは貧乏のせいで二コラと別れることになり、ウントニーノはネッダに去られて酒浸りになる。そして一家はあばら家に引っ越した。
仲買人たちが新しい船の進水式を行う中、ウントーニは人手に渡った一家の船を見に行き、そこで少女ローザに励まされる。彼は帰宅して、金になりそうな服をまとめて、自らはボロボロの服に着替えた。そして二人の弟を伴って、仲買人が募集する新しい船の乗組員採用会場に出向く。さんざん嫌味を言われながら三人とも採用された。
再び海に出たウントニーノ、今はオールの漕ぎ手の一人に過ぎないが、その姿は誇りに満ちて気高く凛としていた。
《感想》シチリアの小さな漁村。若い漁師ウントニーノが仲買人の不当な搾取にあって、貧乏に甘んじるのに我慢できず独立自営の漁を始める。しかし思いがけない不運に見舞われて挫折し、生きるために再び仲買人に雇われ一介の乗組員に戻るという物語。ラストは、諦念混じりの船出ながら漁師の誇りと尊厳が感じられ、これは敗戦直後の国民が抱いた気持ちを代弁したもののようにも受け取れた。
ヴィスコンティといえば自身が貴族出身で、「滅びゆく美」「耽美的」のイメージがあるが、本作は初期のネオレアリズモの作品。この頃のヴィスコンティは共産主義に心酔しその理念に燃えていた時期で、共産党のプロパガンダ映画の色彩が強い。だから映画は、貧しさを脱却するには人々の団結が必要と訴え、観客の予想を裏切るような意外性は全くないし、終始暗い。
それでも惹きつけられるのは、徹底したリアリズムと映像の美しさ。戦後まもなく撮られた70年以上前の映像だが、G・R・アルドが撮った浜辺の群衆のシーン、港を多くの漁船が出入りするシーン、俯瞰で捉えたその精密画のようなショットが素晴らしい。更に、室内での暗い描写においても、陰がつぶれずにそれなりに映っている。大切に保管されてきた作品と窺える。
また、叙事詩的側面だけでなく、長女マーラと左官の二コラの淡い恋心を描いた抒情性にも秀でた演出力が見え、その作家としての才能の幅に気づかされる。
しかし、単なるプロパガンダ映画にしていないところはさすがだが、階級闘争の視点から外れることはなく、今から見れば大時代的に過ぎて響かないテーマかと思える。実際の地元民をキャスティングしたオールロケのリアリティと、壮大な映像美を堪能できる映画ではあるが。
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