里親という仕事の喜びと切なさを温かく
《公開年》2021《制作国》フランス
《あらすじ》里親のアンナ(メラニー・ティエリー)と夫のドリス(リエ・サレム)は、生後18か月のシモン(ガブリエル・パヴィ)を受け入れる。夫婦にはアドリとジュールという二人の息子がいて、シモンは実の末っ子のように育てられて4年半の月日が流れた。
その間、実の父親であるエディ(フェリックス・モアティ)とは月に一度の面会交流を持ち、シモンはエディを「本当のパパ」と理解して一緒の時間を過ごしてきたのだが、生みの母のことは知らないのでアンナをママと呼び、ドリスのことは名前で呼んでいた。
そして6歳を迎えたある日、父エディからシモンを引き取りたいという申し出があった。妻を亡くした心労と父親一人での子育ては無理と判断されて里子に出したのだが、ようやく立ち直り一緒に暮らしたいと思うようになったのだ。しかしアンナは困惑する。ゆくゆくは別れの日が来ると覚悟していたものの、我が子のように愛情を注いできたから。また、子どもたちもシモンを手放したくないし、シモンもアンナから離れようとしなかった。
里親の調停員ナビラから、実父エディと過ごす時間を増やして、親元に戻すというゴールまでの計画を示され、シモンは週に一度エディの元で過ごすようになった。アンナのことをママと呼ばないよう言われ、部屋に亡くなった生母の写真を飾れと言われるが、シモンは写真が怖くてもパパには言えず、子どもながらに辛い思いをする。
クリスマス休暇をアンナ家族は雪深い山の別荘で過ごし、シモンはエディと過ごす予定になっていたが、シモンもアンナたちと一緒に行きたいと言う。エディのところにシモンを届けたアンナは山荘行きのことを話し、シモンも行きたいと訴え、仕事の忙しいエディは承諾した。
山荘での楽しい時間を過ごすアンナたちだが、調停員のナビラからの着信を何度も無視した形になっていた。調停員に無断での外泊はルール違反で「誘拐」「連れ去り」にあたると批判され、アンナは急いで車を走らせ、眠っているシモンを父に引き渡した。
その結果、アンナはシモンの里親として不適格と判断され、しかしエディが今引き取るのは時期尚早と判断されて、シモンは大勢の里子を育てる施設に入ることになった。施設にシモンを届けて車で去ろうとするアンナたちをシモンが追いかける。無理に引き離されての涙の別れだった。
後日、家族で街へ買い物に出かけたアンナたちはシモンの姿を見かける。子どもたちが追いかけようとするのをアンナは止めた。手をつないだエディとシモンが遠くに見えて、それは幸せそうな親子の姿だった。
《感想》ポスターのキャッチコピーは「大切なのは、愛しすぎないこと」。養子縁組と違い、里親にあるのは養育権のみで親権は実親にあって、いずれは実親の元で幸せに暮らすのがゴールだという。
フランス独自の里親制度がベースになっていて、同国の里親は国家資格で職業として成立し、その就労環境は整えられ、日本よりも手厚い待遇を与えられているらしい。そういえば、里親アンナが里子シモンの面倒を見るとき「私の仕事よ」と言うセリフが印象に残っている。
とは言っても「仕事」と割り切るのも難しい。その辺は母親アンナを演じるメラニー・ティエリーの演技が抜群で、愛情深いがゆえに一見わがままなようだが子の幸せを思って揺れ動く気持ち、その優しさと切なさが表情や息遣いから痛いほど伝わってくる。里親を仕事として考えると「愛を持って接すべし」、ただし「愛しすぎないこと」。言うは易く行うは難し。
ややもすると湿っぽくなりがちなストーリーだが、演出は淡々としていて、感情の揺れを深追いすることなくテンポ良く展開する。この一歩引いた視点が作品を際立たせた要因だと思う。期間限定の家族だからこそ、限られた時間を大切にし、その先にある二つの家族の幸せに思いを馳せるべき、そんなメッセージが見えてくる。ドラマチックな展開はなく地味だが、繊細で温かい佳作だと思えた。
観終えて、この映画の教訓は、子育ての普遍的な意味合いをも含んでいる気がした。子どものうちは深く愛し、成長して親の役割を終えたら、子の幸せのために早く子離れせよ。もちろんこの映画のテーマではないが、一歩引いた視点から見れば。
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