『山の焚火』フレディ・M・ムーラー

山に暮らす家族の愛と相剋の神話

山の焚火

《公開年》1985《制作国》スイス
《あらすじ》スイス・アルプスの人里離れた山あいに住む家族。牛、豚、鶏などの家畜を飼い、畑作をしてほぼ自給自足の生活をする家族がいる。姉ベッリ(ヨハンナ・リーア)、弟(トーマス・ノック)、父(ロルフ・イリッグ)、母(ドロテア・モリッツ)の四人だ。弟は聾啞者で、姉弟は学校に行かずに山地で働く父の手伝いをし、将来教師になることを夢見ていた姉が弟に文字や算数を教えている。弟は時折、パニックを起こして奇妙な行動をとるが、家族は頭を悩ませながらも深い愛情で結ばれていた。
聖霊降臨祭のために身なりを整えた家族は、谷を一つはさんだ母親の実家へと向かう。祖母の話では、母は弟が生まれてから神経質になり、耳が聞こえないと診断されて以降、家族の暮らしが変わってしまったという。豚と戯れる弟を見て祖母は嘆くが姉は、働いている時は一人前の大人、遊んでいる時は子どもなのだと弟をかばった。
音のない世界に住む弟は、他人が音を楽しむ姿を見るとつい癇癪を起こし、姉のラジオを壊した。苛立ちや嫉妬を露わにするが悪気はないと両親は寛容だった。弟が傘を持って暴れ出し家畜の牛を追いかけた時、父は病院に連れて行こうかと言うが、そういう年頃なのだと母親がなだめる。悶々とした成長期の気晴らしにと石割りをさせられ、石垣作りに夢中になった。
ある日、父が芝刈り機で仕事をしてその休憩中、芝刈り機で芝を刈り始めた弟は、途中で動かなくなった芝刈り機に腹を立て、それを崖から下に投げ捨ててしまう。
父は怒り、弟はパンを盗んで山上の小屋へと逃げ込んだ。弟は岩を砕きそれを積み上げる作業を繰り返し、日が経っても帰ってこないので心配した姉が小屋を訪れる。久しぶりに再会する姉と弟。焚火を囲んで楽しく食事をした二人は、一つの布団に寄り添って夜を明かし、自然に性関係を持ってしまう。その後も、何事もなかったかのように振舞うが、二人の関係は続いていた。
ある日、父が弟の元を訪れた。弟は父の姿を見て抱きつき、父はそれを優しく受け入れて弟は家に戻った。平和な日々が始まろうとした矢先、姉につわりの症状が現れる。
姉はベッドに伏せる日が多くなり、お腹も大きくなった冬のある日、母親に妊娠を打ち明けた。母は気づいていたと優しく抱き寄せた。しかし母からそのことを聞いた父は狂乱し、銃を持ち出して姉を撃とうとするが、止めようとした弟ともみ合いになって銃が発砲し、父が死んだ。それを見た母もショックで死んでしまう。
雪が降りしきる中、姉妹は両親の葬式を行った。庭に埋めた両親の棺の上には蠟燭の明りが灯り、二人は部屋からそれを眺めるのだった。



《感想》自然に向き合って生きる家族がいた。美しくも荒涼とした、社会から隔絶された山あいに住み、映画には家族4人と祖父母しか登場しない。中心には聾唖の少年とその姉がいて、頑固で癇癪持ちの少年に手を焼きながらも両親は施設や学校に通わせることなく、大きな愛で包み込んでいる。
家族がどうして人里離れた山あいで暮らしているのか、その背景は多く語られない。父親が変わり者だったこと、聾唖の弟が生まれて母の性格が変わったこと、その影響で教師志望だった姉が学校を辞めたことが伝えられるが、それ以上の説明は避けている。
そんな家族の静かな暮らしの中に突然の嵐。姉と弟が通じてしまい、その結果両親を失うというギリシャ悲劇風の展開が待っていた。悲惨な結末なのだが、あまり悲壮感がないのが不思議だ。むしろ、両親を弔う時の弟は今までになくしっかり者の風で、姉は凛とした大人の女性然としていた。どこか家族の呪縛から解放された感がある。
また、近親相姦という人間界のタブーも大自然の中にあっては些細な出来事の一つのようにも思えてくる。何の違和感もなく包み込んでしまう自然の寛容さのようなものを感じた。
監督自身「山人の生活には魔術的でアニミズム的な思考が、現実的かつ合理的な思考と共存しながら根付いている」と述べている。
ラスト、雪明りの庭には両親が眠る棺の蠟燭の明りがあって、二人は部屋からそれを眺めている。残酷で哀しい結末だが、自然の摂理のようでもあり、倫理を超えた神話的な美しさを湛えている。寡黙な作品だが、大自然とあるがままの人間、そんな原初的な風景を見せられた気がした。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、偏屈御免。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!