相和して、飛び出して知る家族愛
《あらすじ》神奈川県川崎市にある酒屋の森田屋。若い店主の良一(佐田啓二)と妻のひろ子(久我美子)はまだ新婚3か月。自然と甘いムードが漂うのだが、5人家族の嫁なので何かと気を遣うことが多い。姑のしげ(浦辺粂子)は亡夫の後妻として嫁ぎ、先妻の子の良一を育ててきた。古風なしげと戦後派のひろ子は互いに気を遣うのだが、世代間のギャップは避けられない。
泰子(高峰秀子)は28歳の小姑で、戦争中の怪我で片足が不自由になり、恋人と別れ婚期を逸したことから自棄になっていて、のんびりしたひろ子に対して辛く当たる。弟の登(石濱朗)は明るく陽気な大学生で、ひろ子の嫁としての立場に同情し、味方になってくれる。
ある日、ひろ子の幼馴染の信吉(内田良平)が仕事を探しに信州から上京した。彼が何度か店を訪ねてくるため、泰子としげは二人の仲を邪推してひろ子の悪口を言い、二人の意地悪な態度に登が腹を立て、それを聞いたひろ子は泣き出した。確かにかつて信吉はひろ子に好意を寄せていたのだが、もうその思いは消え彼女の幸せを願っている。やがて、東京での職探しもうまくいかず帰郷することになり、良一とひろ子は駅に見送った。
登には三井(田浦正巳)という友人がいて、彼は苦学をしていて病気も抱え現実に絶望していた。二人は丘の上から街を眺め、登は「この広い空の下のどこかに自分の愛する人がいるはず」と三井に語る。三井は大学を出て社会で身を立てるのが夢と語るが、登はもっと自分を大事に生きるべきと諭す。やがて三井は、帰郷して空を見て暮らすと言って東京を後にした。
他人の幸せに妬みが募っていた泰子だが、その生活に転機が訪れる。森田屋の奉公人だった俊どん(大木実)がシベリア抑留から帰ってきて、故郷の明石山麓から上京してきたのだ。最初は自分の姿を見られまいという気持ちから会うのを拒んでいた泰子だったが、昔から泰子に好意を持っていた俊どんの「足が悪くても泰子は泰子、関係ない」という言葉を陰で聞いて涙ぐんだ。
そんな折、泰子の同級生で子持ちの夏子(中北千枝子)から電話が入る。幸せな家庭を持っているが貧乏なニコヨン暮らしで、子どもが急病で多額の手術費が必要になり、その借金の依頼だった。泰子は良一に相談し、良一はひろ子の実家に送ろうと貯めていたお金を渡した。
やがて病院を出た泰子からお礼の電話が入る。そしてその足で山奥の俊どんの所へ行くと言い、しげが急いで荷物をまとめて、登が駅まで届けて山に向かう泰子を見送った。それから半月が過ぎ、「俊さんと山で生きていく」という便りが届く。その生活ぶりを見るために、しげと登は山に向かい、良一とひろ子は広い家に二人きりになった。「家族の中で暮らすのは難しいけど楽しい」と自分たちの幸せをかみしめるのだった。
《感想》実にありふれた他愛のない話なのだが、心に響くのは何故だろう。
背景となるのは、戦後の荒廃から立ち直り復興途上にある川崎。描かれるのは家族内の人間関係で、夫婦愛、嫁という参入者への感情、妬みや羨望など互いの心の内が細やかに描かれ、障害者に対する偏見も絡めて物語が展開する。
新婚の嫁は、最近まで他人だった者同士が一つの家族にまとまる難しさを感じながら、優しい夫の理解ある態度に救われ、家族で暮らす幸せに巡り合う。一方、体が不自由な義妹は卑屈で頑なだったが、自分を真に必要としてくれる人に出会って、閉じこもっていた世界から飛び出していく。
家族の幸せって何だろう。夫婦、親子、きょうだいが相和して暮らすことだったり、あるいは恋愛して結婚して新しい家族を作ることだったり。まとまるにしても飛び出すにしても、幸せはその先にあるとみな前向きに描いている。
本作は、後に「人生の不条理と人間の運命に対峙する」「反骨の美学」と形容された社会派監督にしては珍しい初期の松竹大船調ホームドラマ。師の木下恵介組のスタッフということもあってその系譜を感じさせるが、小林らしい社会派の色あいも強く出ている。都会と地方の格差、富める者と貧しい者等々。ホノボノとした中にピリッとした芯のようなものが感じられた。
最も印象的なのは二人の「幸せのボール投げ」のシーンで、時代を感じさせて少し気恥ずかしさを覚えるが、殺伐とした世の中にあって求められた“映画的明るさ”のような気がした。
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