『ちょっと思い出しただけ』松居大悟 2022

思い出は輝きと痛みを連れて蘇る

ちょっと思い出しただけ

《あらすじ》7月26日は佐伯照生の誕生日。その1日が描かれる。
2021年。34歳になった照生(池松壮亮)は一人暮らしで、劇場の照明助手をしている。通勤途上、公園のベンチには未来からの妻を待ち続ける男・ジュン(永瀬正敏)が座っていて挨拶する。その日の仕事は舞踊公演で、舞台では泉美(河合優実)が踊っていた。公演終了後、照生は誰もいない舞台に立ち一人で踊り始めた。
その頃、タクシードライバーの野原葉(伊藤沙莉)は一人のミュージシャンを乗せていて、トイレに寄りたいという彼を劇場で降ろし、待つ間に劇場内を覗いて舞台で踊る照生を見た。
2020年。コロナ禍にあって、照生はリモートで仕事の打ち合わせをして、葉はタクシーに飛沫シートを設置した。
2019年。照生のその夜の仕事はライブハウスで、終えてから商店街を歩いていると、後輩の泉美に声を掛けられた。行きつけのバーに連れて行き、照生はケガでダンサーの夢を諦め照明の仕事をしていると打ち明けた。
その頃、居酒屋の合コンに参加していた葉はそのノリについていけず、店先で行きずりの男・康太に話しかけられ、その勢いに押されるまま、気がつくと康太と一夜を共にしていた。康太は「一生幸せにするんで」と言った。
2018年。照生は足をケガしたばかりで、ダンススタジオではリハビリの日々。ダンスを続けられないことに苦しんでいた。そんな照生を葉がタクシーで迎えに行く。辛い時こそ照生を支えたいと願う葉と、葉に会うと傷つけてしまいそうで距離を置いていた照生。一緒に考えたい葉と一人で決めたがる照生。会話は嚙み合わず、言い合いはエスカレートして喧嘩別れになる。車を降ろされた照生は、一緒に食べるはずだったケーキを道端で一人食べた。
2017年。一緒に寝ている照生と葉。照生のバイト先である水族館は休館日で、二人で忍び込んで秘密のデートをした。夜は屋上で花火をし、部屋で照生は「来年の誕生日、プロポーズしようかな」とつぶやくが、嬉しさを隠しきれずに問い詰める葉を照生ははぐらかした。
その翌日、花束を持ってダンススタジオを訪れた葉は、泉美からプレゼントを渡され親しげに話す姿を見かけ、花束を投げ捨てて走り去った。その夜、葉は照生のバイト先に行って自分の気持ちをぶつけ、照生もそれに応えた。互いに相手を思っているのだが、現実の暮らしの中で愛を成就させたい葉と、夢と現実の狭間で結婚に踏み切れない照生のわずかなすれ違いが見えてくる。
2016年。葉は、友人の舞台を観に行き、群舞を踊り振付を担当する照生に出会った。ダンスの話をし、ひょんなことから帰りも一緒になった二人は飲みながら歩くうちに意気投合して、ほろ酔いに任せ深夜の街中で踊り出した。
再び2021年。葉はミュージシャンを乗せてタクシーを走らせた。照生は行きつけのバーで誕生日を祝ってもらった。明け方、葉は仕事を終えて帰宅し、それを迎えたのは赤ん坊と、今はパートナーとなった康太だった。



《感想》物語は、照生と葉の出会いから別れた後までの6年間を、時間をさかのぼって描いていく。別れの結末を分かっているからこそ、共に過ごした二人の時間がより輝いて映り、気持ちのすれ違いが埋めようもなく広がっていく様子が切なく伝わってくる。
恋愛や結婚を夢見る葉と、ダンサーの夢を捨て切れない照生。結局、現実と自分の気持ちをどう整理するかということで、折り合いをつけた葉にしても、大切なものを失ったという思い残しを引きずっている。
人生はきっと「そんな時代もあったね」と思い出すことの連続なのだろうが、時としてそれが事あるごとに思い出す一生忘れ難い思い出だったりする。甘いだけでなく悔いや痛みなど複雑な感情を伴って。
だけど、どうにもならない現実に辛い思いをしても、また別の出会いがあって新たな幕が開くもの。葉は新しい家族と共に、照生は裏方の舞台照明で生きようと。映画は、切ないけれど恋愛の儚さだけでなくもっとポジティブな余韻を残して終わる。
ジム・ジャームッシュへのオマージュが色濃くて、それも味わいになっている。『パターソン』は日々詩作を続ける男が主人公だが、昨日と違う自分、今日感じたことを日々記すことで平凡な日常を支えていた。本作では詩作が思い出に代わり、かつての自分に思いを馳せること、それが自分なりの今日を生きる糧になっている。とても心地よくて、ほろ苦い映画だった。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。