都会の孤独な若者が求めた“愛のようなもの”
《公開年》1994《制作国》台湾
《あらすじ》台北でロッカー式納骨棚のセールスをするシャオカン(リー・カンション)は、高級マンションに届け物をした際、同じフロアに鍵がささったままのドアを見つけ、その鍵を持ち去った。夜になって再びマンションを訪れた彼は、人気がないことを確認して部屋に忍び込んだ。そして風呂に入り、意を決したようにナイフで手首を切りつけ自殺を図ろうとするが踏み切れない。
そこへこの部屋の仲介を担当する不動産会社営業のメイ(ヤン・クイメイ)が露天商のアーロン(チェン・チャオロン)を連れてやってきた。彼女が夜の街のカフェで行きずりの彼を誘ったもので、二人はおもむろに服を脱いでセックスに興じ、シャオカンはそっとそれを覗き込んだ。
シャオカンは元々人見知りが激しく、会社でも仲間と打ち解けずに孤立しがちで、パンフレットをマンションのポストに投函するだけの単調な日々を送っている。だから彼はいつしか部屋に忍び込んで安らぎの時間を持つようになった。アーロンも密かに合鍵を作ってこの部屋にやってくるし、不景気で物件が売れないメイも疲れた体を癒すように時々この部屋を訪れた。
ある日、シャオカンとアーロンは偶然部屋で鉢合わせをしてしまう。最初は互いに警戒し合っていたが、やがて打ち解け一緒にドライブをしたり鍋をつついたりと奇妙な友情を深めていった。シャオカンは密かにアーロンの荷物を開け、売り物の靴やドレスを身に着け女装する趣味が芽生えた。
アーロンはメイに電話をかけるが、彼女は相手が誰なのか分からず話が全く嚙み合わない。ある晩、シャオカンがアーロンの路上販売を訪れるが。アーロンがメイの存在に気づいてその後を追ったため、シャオカンは仕方なく一人部屋に戻ってベッドで自慰行為をしていた。すると、アーロンとメイが一緒に戻る気配がして慌ててベッドの下に隠れると、二人はいきなりセックスを始め、やがて軋む音と喘ぎ声が聞こえてきた。
翌朝、メイは外出し、アーロンが一人ベッドで熟睡する。その横に寝そべったシャオカンは、彼の寝顔を見つめるうち感情が高ぶり、そっと彼にキスをして部屋を後にした。
マンションから出たメイは、街をさまようかのように歩き続け、やがて造成中の公園へと足を踏み入れた。そしてベンチに腰掛けて一人声を出して泣いた。泣きやんで煙草に火をつけ落ち着きを取り戻すが、またこみ上げてくるものがあって、涙が止まらない。
《感想》仕事にも職場の仲間にも馴染めないシャオカン、よく働くが仕事がうまくいかずストレスを抱えるメイ、違法の露天商でその日暮らしをするアーロン。場所はメイが販売を担当する高級マンションの一室で、シャオカンは鍵を盗んで、アーロンはメイに誘われて、メイは息抜きの場として訪れ、三人の奇妙な交錯が始まる。都会の希薄な人間関係の中で若者が抱える孤独と疎外感、愛なんて見えない環境で若者が愛と縁(よすが)を求めて生きる姿を描く。決して明るい内容ではないがタイトル『愛情萬歳』は意味深で、多様な愛のあり方というポジティブな方向を指している気がした。
特に印象的なのは、シャオカンのアーロンへの想いが溢れ出すシーンで、寝顔を見るうち高ぶっていく感情、その切なさが観る者の心に刺さる。彼はアーロンとの出会いで自らの性の嗜好に気づき、いわば自分なりの愛を発見したように見える。少なくともこれからは自傷行為には走らず生きていけるのではないか。
そしてラスト、メイが延々と泣き続けるシーン。愛のないセックスと欲望のままの自分への後悔と嫌悪感、あるいは本人にも分からない複雑な感情なのかも知れない。でも求めていたのは“愛のような温もり”で、都会で独り暮らす中でいかに他人と関わり孤独から抜け出すか、そんな無意識の思いの先にあった些細な出来事のように思える。だから思い切り泣いたらきっと思い直して、愛のようなものを求めた元の力強い女に戻るはずだ。
ただ一人、愛を求めず欲望だけで生きる男アーロンは、その日暮らしの切なさはあるものの自己愛の強い束縛を嫌う自由人。もしかしたらこの他人に対する無関心「鈍感力」も生きる力なのではないか。
音楽はほとんどなく、セリフも少なめで、長回しが続く。そして役者の表情、仕草だけの繊細な演出で都会の孤独を浮彫にしていく、その映像に圧倒される。
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