『十九歳の地図』柳町光男 1979

大人社会に触れて知る、生きるということ

十九歳の地図

《あらすじ》19歳の吉岡まさる(本間優二)は、住み込みで新聞配達をしながら予備校に通っている。新聞配達の仕事は過酷で、犬にほえられることもあり、雨の日は新聞を濡らさないよう必死に配達をして、集金でも支払いを渋る客やサービス品を要求する客に一苦労する。しかも新聞配達という仕事を見下している客が多くて、その態度に吉岡は心の中に鬱積したものをため込んでいた。時には親切にお茶を出してくれる家庭もあるが、それさえ彼には偽善者として映った。
そしていつしか、配達区域の地図を作って家々の名を書き込み、気に入らないと「×」印を付け、それがたまると公衆電話から匿名で嫌がらせや脅迫の電話をかけるようになった。
吉岡の寮の同室には30過ぎの独身男、紺野(蟹江敬三)がいる。ギャンブル好きで、同僚から金を借りても返さず、ダメな奴と小ばかにされている男だが、吉岡とは不思議とよく話す間柄だった。彼は「どんな風に生きたらいいのか分からない」と言う。
ホラ話の多い紺野から度々恋人「マリア」の話を自慢げに聞かされ、皆は嘘としか思わず吉岡も信じていなかったが、突然会う機会が訪れる。マリア(沖山秀子)には足に大きな傷跡があり、片足を引きずるように歩き、8階から飛び降りた自殺未遂によるものだという。
マリアは娼婦を生業としていて、紺野はそれを承知しながら彼女との将来を真剣に考えていた。紺野は夜道でひったくりをしてマリアに贈り物を届け、彼女との生活のために強盗傷害を犯して逮捕されてしまう。
一方の吉岡は予備校に行かなくなり、新聞配達先の家庭の情報をリスト化して、自分の手書きの地図を埋めていくことに没頭していった。壁の矢沢永吉のポスターは地域一帯の地図に張り替えられ、匿名の脅迫電話はどんどんエスカレートして、殺害予告や爆破予告に及んでいった。
そして吉岡はマリアの部屋を訪れ、紺野をそそのかしたと彼女をなじった。ののしられて悔しがり歯を食いしばるマリアは、ガスのホースを咥え「死ねないのよ‥‥」と泣き叫んだ。
やがて吉岡のやり場のない怒りは、地域だけでなく全ての人間への脅迫になり、東京駅や街のガスタンクの爆破予告にまで及んだ。そして「殺してやる。本当だぞ!」と叫んだ後、泣き出してしまうのだった。
後日、新聞配達中にマリアの姿を見かけた。捨てられたワンピースを身に当て嬉しそうにするマリアを見た吉岡は、思わず目をそらし逃げるように走り去った。



《感想》新聞配達をしながら予備校に通う19歳の若者には、関わる町の人たちがことごとく鬱屈と憤まんの対象になり、そんな彼の不満は社会に対する攻撃へと転じていく。一方対比的に描かれるのが「もう若くない」男女の複雑な色恋で、自分の生き方が見つからない男と、死にたいのに死ねない女が絡む。若者からすれば堕落した卑下すべき存在なのだが、やがて、生き方が見つからない焦燥は中年男と同じだと気づき、死ねないから生きている女の悲痛な叫びに生きていく苦しさ、死ぬ程に思い詰めた生を突き付けられる。
そして攻撃的だった若者の心に変化が生まれた。彼は、他人を貶めることでしか自らの存在を主張できない、そうしなければ消えそうな小さくて惨めな存在の自分に気づき、脅迫電話をかけながら泣き出してしまう。
ラスト、罵倒した女に再会したとき思わず目をそむけ逃げ出したのは、「ダメな自分とダメな現実」を受け入れてもなお生きようとする彼女は、生きる歓びも哀しみも知っていて、それを罵倒した自分こそ幼さと甘えだけの無為な生き方をしていると気づかされたから。大人になるにはまず己を知ることから、成長の証である。
役者では蟹江敬三と沖山秀子に圧倒される。ダメ男が留置所で女を偲んで歌う『君といつまでも』は切なく響いた。沖山では片足を引きずりながら空き地で立ちションして、子どもに石を投げつけられるシーン。私生活で飛び降り自殺未遂を起こした直後の撮影とのことで、その痛々しさと鬼気迫る怪演には観客をも寄せ付けない迫力がある。 
いい大人の鮮烈な生きざまが心に響く青春映画であり、骨太な中上の文学世界を見事に体現している。

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投稿者: むさじー

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