親子の葛藤と家族愛、そして青春
《公開年》1988《制作国》アメリカ
《あらすじ》17歳の高校生、ダニー(リヴァー・フェニックス)は野球の試合を終えて自転車でグラウンドを後にするが、自分を尾行している車に気づき、さり気なく立ち止まって逆方向に走り出した。空き地で自転車を捨て、弟を家から連れ出して父母の待つ車へと急ぐ。一家はそのまま家を捨てて逃げた。
ダニーの家族は、父アーサー(ジャド・ハーシュ)、母アニー(クリスティーン・ラーチ)と弟スティーブンの4人だが、実は父母は指名手配中の身で、半年ごとに容姿や名前を変えて引越しをしているのだった。かつて反戦活動家として軍事研究所を爆破し警備員傷害の罪を背負っていて、以来家族は帰る場所のない逃亡生活をしていた。
やがて一家は別の土地に落ち着き、ダニーも新しい学校に転校して、そこで音楽教師のフィリップ先生に出会う。先生はダニーのピアノ演奏を聴いて、その才能に注目して自宅に招くようになり、同じ高校に通う先生の娘・ローナ(マーサ・プリンプトン)と知り合った。そこではマイケルという偽名を使った。
父は料理人、母は医院の受付の仕事をして、家にはガスという活動家仲間も訪れる。ガスから「銀行を襲え」と言われるが、アーサーは「銃で物事を解決しようとするな。革命家には思いやりと規律が必要だ」と断った。
ダニーとローナの仲は親密さを増して、母アニーの誕生日パーティーにローナを招待しダンスを楽しんだ。二人は愛を確認しながらも、ダニーの及び腰から一線を越えられずローナの誤解を生んでしまう。ローナへの愛が深まるにつれ、自分の秘密を隠しているのが苦しくなり、ついにダニーは家庭の事情を打ち明けた。
教師からは熱心にジュリアード音楽院への進学を勧められ、ダニーは両親に黙ってジュリアードの実技審査を受け高い評価を受けた。一方、教師は進学するよう母アニーにも勧め、在学記録を取るように話した。息子の才能を知ったアニーは夫アーサーに「自首して子どもを解放しよう」と言うが、アーサーは家族の絆を理由に反対した。
アニーは夫に黙って裕福な自分の父バターソンに連絡を取り、14年ぶりに再会し、ダニーを引き取って欲しいと頼んだ。父は娘を責めながらも引き取ることを約束した。
それから間もなく、アーサーが「数日後に引っ越す」と言いだし、ダニーは「ここに残りたい」と頼むが、父から家族の結束を説かれて折れた。そんな折、活動家仲間のガスが逃走中に射殺されたことを知った。いざ引っ越しと車に集まった家族の元に自転車で駆け付けたダニー。自転車を荷台に載せようとするダニーを止めて、父は「一人で行け。また会おう」と別れを告げた。ダニーは涙ながらの笑顔で家族の車を見送った。
《感想》たぶん若い人はリヴァー・フェニックス演じるダニーの恋愛・青春映画として見るだろうが、人生後半を生きる人はクリスティーン・ラーチ演じる母親アニーの心の葛藤を描く家族ドラマにより共感するのではないか。
だから、アニーが裕福な自分の父親と14年ぶりに再会し、かつて暴言を吐いてその元を去った父親に、息子を引き取って欲しいと頼むシーンが最も心に響いた。「親のことを考えたか」と詰め寄る父に「次は私が苦しむ番ね」と寂しげに言う娘。父は引き取ることを約束し、厳しい表情を崩さないまま娘を見送ってそっと涙ぐんだ。“若気の至り”に端を発して人生の負い目を背負い込んでしまった女性が、時を経て子を思う母としての苦悩を吐露する、その母親の顔と娘の心情とが巧みに描かれ涙を誘われる。
また、父アーサーについても、行き過ぎたイデオロギーを問題視しながらも一方的に彼の生き方を否定していない。独善的だが家族思い、というよりアイデンティティを失い家族だけが心の拠り所になってしまった男の切なさがしみじみ伝わってくる。そんな父が息子を突き放すように「自分の人生を生きるんだ、私たちのように。他人に左右されるな」と別れを告げる。子どもを手放す辛さと優しさ、そして自らの矜持を秘めたこの言葉が心に染みた。
極めて特異なシチュエーションではあるが、描いているのは普遍的な家族愛、親と子の葛藤のように思える。甘い青春ドラマにビターな家族のドラマをブレンドした、複雑で深い味わいの映画だ。
※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。