『アモーレス・ぺロス』アレハンドロ・G・イニャリトゥ

濃密なラテン系愛と欲望の世界

アモーレス・ペロス

《公開年》1999《制作国》メキシコ
《あらすじ》メキシコシティを舞台に、三人の主人公が一つの交通事故を介して交錯し、各々の物語が絡み合いながら展開する、
1)下町に住む青年オクタビオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は兄嫁のスサナ(バネッサ・バウチェ)に恋をしている。兄のラミオは店員の傍ら強盗を働いていてスサナに暴力を振るうため、オクタビオは彼女を連れて街から出ようと、その資金稼ぎのために愛犬コフィを闘犬に仕立てた。得た金をスサナに渡し駆け落ちを持ち掛けるが、スサナは街を出ることを渋り、そのうちラミオがスサナを連れ、金を持って逃げてしまう。
オクタビオは闘犬のライバルのハロチョとのトラブルを起こし、愛犬コフィが彼に撃たれたことに怒りナイフで刺して逃走し、交通事故に遭った。一方、ラミオは銀行強盗に押し入って警官に射殺された。葬式でオクタビオは再びスサナを誘うが、待ち合わせの場所にスサナは現れなかった。
2)スペインから来たスーパーモデルのバレリア(ゴヤ・トレド)は、妻子持ちの広告デザイナー、ダニエル(アルバロ・ゲレロ)と不倫関係にある。彼が妻との別居を決意し幸せな生活が始まろうとした矢先、交通事故で瀕死の重傷を負ってしまう。
退院しても車椅子の不自由な日々の中で、愛犬リッチーが床下に紛れ込む事件が起こり、二人の仲が険悪になる。仕事の契約を切られたバレリアは、ダニエルと口論する日々が続いた。しかも脚の傷が悪化し、切断することに。脚を失ったバレリアが家に帰ってくると、窓から見えた自分の広告ポスターは撤去されていた。
3)元大学教授だったエル・チーボ(エミリオ・エチェバリア)は、今は廃品回収という表向きの仕事の裏で殺し屋をし、廃墟のような家で数匹の犬に囲まれて暮らしている。彼にはかつて反政府活動に走って妻子を捨てた過去があり、成長した娘マル(ルルデス・エチェバリア)を父親として見守りながら後を追っている。
そんな彼に殺人依頼が舞い込み、依頼主と殺す相手は仕事のパートナーでもある腹違いの兄弟。ターゲットを尾行するうち交通事故に遭遇し、その現場で黒い犬(オクタビオの愛犬コフィ)を救出した。ターゲットはその周辺を調査した上で拉致し、依頼主を呼んで両者を対面させて、その先は話し合うなり殺し合うなり好きにしろと去った。エル・チーボが帰宅すると、黒い犬が彼の愛犬たちを嚙み殺していた。
やがてエル・チーボは、旅の身支度を整え、マルの家にそっと侵入した。そして稼いだ金を置き、留守電に自分が父であることと詫びの言葉を残して、黒い犬と共に何処かへと去って行った。



《感想》兄嫁に横恋慕する若者、不倫に走るスーパーモデル、捨てた娘に懺悔する元反政府活動家の殺し屋。バラバラで始まる三つのストーリーが、一つの交通事故で交差して次第に絡み合っていく。
若者は兄と友人と犬を失った上に義姉の愛も得られず、モデルは美しい脚を失い愛する人も失いそうで、殺し屋は娘に会えないまま懺悔の言葉を残して去った。結局、若者とモデルは道ならぬ恋に挫折し、殺し屋は悔やまれる過去から逃れられないでいる。
原題を邦訳すると「犬のような愛」とか。意味するのは、「純粋無垢な」「本能に任せた」「制御できない」といったところか。若者には激しい気性の闘犬、モデルには愛がすべての愛玩犬、殺し屋には生きる縁(よすが)を求める野良犬が寄り添っているが、それぞれが飼い主の生き様と重なり、激しく求めながら報われない愛を象徴しているように思える。
ラテン系気質からか自分の欲望に正直で情熱的で、それは時として社会性や論理を超えて、傷つけ合う結果を生んでしまう。そんな人間の業の深さと欲望、むき出しの激しい感情を生々しく突き付けてくる映画だ。
とにかくスピード感があってパワフル、更に強烈な映像の連続なので長尺だが長さを感じさせない。また三つの物語の絡ませ方が絶妙で、単なる群像劇を超えた脚本の妙を感じた。
ただし、愛と喪失がテーマの映画とはいえ、それ以上に「闘犬」の激しさに圧倒されるので愛犬家は注意を要する。

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投稿者: むさじー

映画選びのモットーは温故知新、共感第一、偏屈御免、です。感情を揺さぶられる、そんな映画との出会いがファン最大の喜びだと思っています。 「My Favorite Movies 1001」を目指します。