『橋の上の娘』パトリス・ルコント

ナイフに賭けた愛と信頼、大人の寓話

橋の上の娘

《公開年》1999《制作国》フランス
《あらすじ》パリ・セーヌ川に架かる橋の上で、欄干を乗り越え今にも身を投げようかという娘アデル(ヴァネッサ・パラディ)は、男から男へと渡り歩いて捨てられてしまい人生に絶望していた。その時、中年の男ガボール(ダニエル・オートゥイユ)から声をかけられる。彼はナイフ投げの曲芸師をしていて、「曲芸の的にならないか」と言う。アデルは無視して川に飛び込み、ガボールはとっさに川に飛び込んでアデルを救った。
「幸運を探しに行こう」というガボールの誘いで病院を抜け出し、アデルは彼の甘い言葉を断り切れずにナイフ投げの的になる覚悟を決めて、二人は列車に乗った。モナコに着くと、彼女の髪形を変えドレスと化粧品を揃えた。
サーカス小屋に売り込みに行くと、ナイフ投げは時代遅れと言われ、それなら目隠しで投げると提案して受け入れられた。的になるアデルの前に目隠しのカーテンをしてナイフを投げるというガボールの芸は客に大受けして、次のイタリア・サンレモでの仕事も舞い込んだ。
その夜、二人はカジノのルーレットで大儲けをした。酒を飲みながらガボールは自分のツキの無さを嘆き、アデルの運の強さを称賛した。しかし次の地サンレモでアデルはスッてしまい、ガボールがいないとうまくいかないことを知った。また、的になることに“恐怖と快感”を同時に感じるようになっていた。
ルーレットに負けて落ち込んだ二人は、お祭りの福引で幸運にも車を当てた。だが、ガボールがはしゃぎ過ぎてライトを消して闇夜を走らせ、路肩に落ちて壊した。
次の街に向かう途中、アデルがレストランのボーイに興味を示したことから二人は諍いを起こす。ガボールは「探しているのは自分の道」、アデルは「あたしの気持ちを理解しない。放り出す気か」と言い合い、人気のない廃屋で二人だけのナイフ投げをして気持ちを一つにした。
次の仕事は豪華客船での「死の大車輪」という回転する的へのナイフ投げで、これも大成功を収めた。そこでアデルが新婚のギリシャ男タキスに一目惚れして、小船に乗って彼と駆け落ちしてしまう。だが小船は漂流し、アデルの愛も冷めてしまった。一方のガボールは、夫に逃げられ絶望している新婦イレーネを誘って的にするが、うまくいかずケガを負わせてしまう。
イスタンブールの港で降りたガボールは、再起を試みるがうまくいかず、芸人をしながらアデルを探していた。パリの橋の上でアデルを見つけたあの夜、実は彼も自殺しようとしていたのだ。今、人生に絶望したガボールは、橋の欄干を乗り越え、身を投げようとしていた。その時、後ろから「バカなことをしそうね」と声が聞こえた。アデルだった。「あたしに投げるナイフがあれば、どこへでも行くわ」。二人は抱き合い、かけがえのない存在であることを噛みしめた。



《感想》パリの橋の上、死ぬつもりだった若い女と中年の曲芸師が出会い、ナイフ投げと的(まと)というそれだけの関係でつながって不思議な運命に導かれていく。
女は男から男へと渡り歩く尻軽女で、求めるのは愛し合える理想の王子様。一方男は、的に情を抱いたら手元が狂うと愛を拒否し、ストイックにナイフ投げの技とプライドを求めている。成り行き任せの女を伴って男は再起をかけるが、二人に新たな感情が芽生えてくる。
印象的なのは、喧嘩した後に人気のない廃屋で二人だけのナイフ投げをして気持ちを一つにするシーン。そこに見えたのは、運命の全てをナイフ投げに委ねる女と、女の全てを受け入れ投げ込む男だった。女の身体をかすめるように突き刺さるナイフに男は無上の喜びを感じ、突き刺さる瞬間の恐怖と快感、その刺激が女にとって最高の喜びになっていく。それが生死のギリギリにあるからこそ恍惚と快楽につながるのだろう。少し分かる気がした。
確かに二人は不安を乗り越えた強い信頼で結ばれていて、それは屈折したプラトニックラブのように見える。「こうなる運命よ。続けるのよ、二人でいること」と、ラストはハッピーエンド風だが、性愛を超えた二人の関係がこれからどうなって、どんな愛を成就させるのか、気になった。
ご都合主義で展開するが、秘めたる官能性は大人の寓話のようでもある。モノクロ映像美が映える耽美的世界の中で、ヴァネッサ・パラディがひときわ美しく輝いていた。

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投稿者: むさじー

映画選びのモットーは温故知新、共感第一、偏屈御免、です。感情を揺さぶられる、そんな映画との出会いがファン最大の喜びだと思っています。 「My Favorite Movies 1001」を目指します。