『皮膚を売った男』カウテール・ベン・ハニア

現代アートと難民、人の自由と尊厳

皮膚を売った男

《公開年》2020《制作国》チュニジア他
《あらすじ》2011年のシリア。ラッカ出身のサム・アリ(ヤヤ・マヘイニ)は電車内で恋人アビール(ディア・リアン)にプロポーズして周囲の祝福を受ける。ところが思わず叫んだ「これは革命だ。自由が欲しい」という言葉が国家反逆罪とみなされ拘束されてしまう。
収監されるも監視役の兵士が知り合いだったため運よく逃亡できたサムだったが、アビールには親が決めた縁談が進んでいて、連れ出せずに単身レバノンへと亡命した。それから1年、昼はヒヨコの飼育場で働き、夜は美術品展示会に招待客を装って忍び込み食料を漁って暮らす。
ある日、いつも通り展示会に忍び込んだサムは主催者のエージェントのソラヤ(モニカ・ベルッチ)に怪しまれて追い出されるが、それを見ていた現代アーティストのジェフリー(ケーン・デ・ボーウ)からある提案を持ちかけられる。それは彼の背中にタトゥーを施し彼自身をアート作品にしたい、その代わり大金とヨーロッパ諸国を自由に行き来できるシェンゲンビザが得られるというものだった。
恋人だったアビールが外交官ジアッドと結婚しベルギーに移住したことから、サムはベルギーに住むことを条件に提案を受け入れ、高額収入と引き換えに展示作品として誠実に履行する義務が課された。
こうしてサムは背中にビザを見立てたタトゥーを施すアート作品になった。そして展覧会は大盛況となり、目玉であるサムの背中は世界中から注目を浴びた。サムの元には人権侵害を危惧する「シリア難民を守る会」なる組織が来るが、サムは自分の意志であり搾取ではないと断った。
しかしベルギーに来てもアビールに会えず、サムは住まいを調べて会いに行くが、アビールは突然の訪問に困惑し、その様子をジアッドに目撃されてしまう。ジアッドは、何も知らないアビールを美術館に連れていき、展示中のサムの姿を彼女に見せた。その上、サムを罵倒して喧嘩になり展示中の高価な絵画を壊してしまった。
アビールはサムに、ジアッドを訴えないよう美術館に頼んで欲しいと訴えたがサムは断った。一方、人権団体の抗議が過熱したことから展覧会は中止になり、話題の人になったサムはスイスの個人投資家に売却された。
その9か月後。人間アートのサムはオークションに出品され高値で落札されるが、突然壇上から降り爆弾スイッチ様の物を手にして会場をパニックに陥れた。サムは人間として逮捕され拘束されるが、牢獄で束の間の自由を得た。
裁判を控え通訳として現れたのがアビールで、彼女はジアッドと別れサムの元に。裁判では無罪、ビザ失効で国外退去となり二人は故郷ラッカに戻った。
その後、イスラム過激派に処刑されるサムの動画がネットに流れ、サムから剥ぎ取られた背中が美術館に展示された。しかし事実は違っていた。シリアに帰る前にジェフリーがサムのDNAを採取し、人工皮膚で背中のアートを作っていたのだった。ジェフリーは「彼は生きるために死ぬ必要があった」と言う。サムは処刑されずに、自由の身になってどこかで暮らしている。



《感想》現代アートの巨匠から要請されて背中にタトゥーを施した難民のサムは、作品になることで移動の自由と、安全な社会で生きる保障を手に入れるが、作品であるが故に縛られ、商品となっていく我が身に人間として疎外感を抱いていく。
やがて作品としての自分に限界を感じたサムは反逆を企てて、人間として逮捕されてしまう。もはやアート作品と離れるしかなく、この世から自分という人間を消すことによって、人として生きる自由を手にした。
難民問題がベースにあるが本旨はそこでなく、「人間の真の自由や尊厳とは」という問いにあって、そこに「商業主義に毒された現代アート」という今風のエピソードをうまく絡ませ巧みに仕立てた感がある。
物語は激しく揺れる。国際紛争で自由を奪われ、アート作品になることで難民の不自由さから解放されるが、商品化されることで人としての自分を失っていくという皮肉な展開は、戯画のようであり寓話的な世界でもある。
人間の偽善や欺瞞、世の理不尽に対する静かな怒りを秘めながら、それをユーモアとシニカルな笑いに包んでしまう。深刻なテーマだがエンタメ性も十分で面白い。難を言えば、二転三転の面白さと盛り込み過ぎで、やや焦点がボケた気はする。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!