『ビッグ・リボウスキ』コーエン兄弟

おバカな中にコーエン流人生賛歌

ビッグ・リボウスキ

《公開年》1998《制作国》アメリカ
《あらすじ》1991年のロス。70年代のヒッピー生活を引きずる通称デュード(ジェフ・ブリッジス)は、ある夜二人の暴漢に襲われ、女房の借金を返せと言われ部屋の敷物に排尿されてしまう。彼は独身で、同姓同名の富豪ビッグ・リボウスキに間違われていたのだ。
ボウリング仲間のウォルター(ジョン・グッドマン)とドニー(スティーヴ・ブシェーミ)に話すと、富豪のリボウスキにねじこめとけしかけられ、富豪宅を訪ねるがすげなく追い返された。ところが数日後、富豪から呼び出しを受け、妻バニーが誘拐されたので身代金の受け渡しをと頼まれる。
デュードは妻の狂言誘拐と見込むが、現金の入ったケースと携帯電話を持って指定場所に向かう途中、ウォルターが大きなバッグを持って現れ、すり替えて現金をいただく計画を話す。犯人の指示に従いそのバッグを投げるが、持参の銃が暴発して混乱となり人質の交渉には至らなかった。更に、大金の入ったケースを車ごと盗まれてしまう。
大弱りのデュードの前に、富豪の娘で前衛画家のモード(ジュリアン・ムーア)が現れ、父は自身が理事を務める財団の金を身代金のために勝手に引き出したので取り返して欲しいと頼まれた。一方の富豪には犯人から切断された指が届いていた。そして、車は見つかったものの現金入りケースは消えていた。
その車から、デュードはラリー・セラーズという少年の宿題を見つけ、金を奪った犯人と踏んで、父親は有名脚本家というその家を訪ねるが相手はダンマリを決め込んで、怒りで車を壊す騒動を起こす。
思わぬ展開に困惑するデュードを次に呼び出したのはポルノ産業界の大物トリホーンで、バニーは借金を踏み倒して逃げたと言い、デュードの話も聞かずに薬を混ぜた酒を飲ませて追い出した。更にデュードを尾行する私立探偵から、バニーは1年ほど前から行方不明で田舎の両親から捜索を頼まれていると聞く。
ところがデュードが富豪の家を訪ねると既にバニーは戻っていて、ようやく真相が見えてくる。モードの言う通り、富豪が財団の金を我が物にするために妻の偽装誘拐を仕組んだものと思われた。現金入りケースの行方は知れないままだった。
ボウリング三昧の日々に戻ろうとするデュード、ウォルター、ドニーだったが、ボウリング場を出た途端、誘拐実行犯の三人組がまた現れ乱闘が始まって、巻き添えを食ったドニーが心臓麻痺で死んでしまう。
残された二人は海辺でドニーの死を弔い、ウォルターは彼の遺灰を海に散骨した。騒動は終わり元の日常に戻った。人間のコメディーはそうやって未来永劫続いていく、とナレーターのカウボーイが語る。



《感想》チャンドラーのハードボイルド探偵小説に着想を得たというが、話はハチャメチャで、次々に邪魔者とシュールな夢が入って混沌を深めて、間抜けな男たちの騒動にイライラさせられる。結局、事件は解決したのか、何を言いたいのか分からないまま終わってしまった。
そんな緩いコメディーなのだが、一部にはカルト的支持を得ている。確かに好き嫌いが極端に分かれる世界ではある。ストーリーを追ったらそのナンセンスさにあきれるし、むしろそれぞれに“立っているキャラ“を味わう映画ではないか。
良心的兵役拒否者と軍隊・暴力崇拝者と平和第一小市民というトリオの騒動は、深読みできるシニカルなコメディーという見方もできるが、アレコレ考えるとこの映画は楽しめない。
とりわけ主人公デュードのキャラは秀逸で、「特に抗いもせず、諦めもせず」という“時の流れに身を任せた男”なのだ。「生きることは生き続けること、哀しいくり返し」という歌謡曲の一節があるが、人はどんな人生、苦しい境遇にあっても自分なりに納得して必死に生き続けるしかない。その意味でこの男は達観している。
その姿は時として滑稽だったり、格好悪かったりするのだが、そんな人の営みを切なくも愛しく思う気持ちがこの映画には溢れているように思えた。社会的には落ちこぼれだが不幸ではない、ダメ人間たちを徹底して肯定している。
おかしなキャラの間抜けな掛け合いを、心を無にして楽しむことが肝要である。特に落ち込んだ時など励まされること請け合いだ。

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投稿者: むさじー

映画選びのモットーは温故知新、共感第一、偏屈御免、です。感情を揺さぶられる、そんな映画との出会いがファン最大の喜びだと思っています。 「My Favorite Movies 1001」を目指します。