全て失くした男への滋味溢れる応援歌
《公開年》2002《制作国》フィンランド、ドイツ、フランス
《あらすじ》フィンランドのヘルシンキ。列車で駅にたどり着いた男(マルック・ペルトラ)は、夜の公園でうたた寝しているところを暴漢3人組にバットで襲われ、殴る蹴るの暴力を受けたあげく身ぐるみ剥がされ、半死半生の身で病院に搬送された。一時は死亡と判断されたが医師が退室した後、奇跡的に生き返ってしまい、顔中に包帯を巻いたまま病院から抜け出した。
その後、港の岸辺で再び倒れていた男を助けたのは、側のコンテナに住んでいる貧しい家族だった。夫ニーミネン、妻カイザと二人の子どもで、元気になるまで面倒をみることにする。徐々に回復してきた男に家族は素性を聞くが、男は頭を強く殴られたせいで全ての記憶を失っていた。
過去を失った男だったが、そんな彼に港町の人々は快く手を貸してくれた。ニーミネンに誘われて救世軍の炊き出しに出かけ、男はそこで活動する女性イルマ(カティ・オウティネン)と知り合う。住む場所を探していると、地元の悪徳警官から空きコンテナを紹介され、男はその脇にジャガイモ畑を作り、拾ったジュークボックスを部屋に置いた。
救世軍から衣服を用意してもらい職安に向かうが、身分がないという理由で門前払いを受ける。無職で家賃の払えない男は、家賃を待ってもらう代わりに悪徳警官の飼い犬ハンニバル(食人鬼)を預かることになった。
幸い男は救世軍の仕事を得ることができ、イルマとの距離も近づいてデートに誘うようになる。食事に招き、森へドライブに出かけ、楽しい生活をするうち少し記憶が甦ってきた。溶接の現場を見て、その仕事が得意なことが分かり会社から誘いを受けて、適当な名義の口座を作るため銀行に向かった。
ところが、手続き中に銀行強盗が入り、命は助かったものの警察の事情聴取で何も答えられず身元不明で拘束された。イルマの助けで釈放されるが、銀行強盗に尾けられて意外な仕事を頼まれる。強盗は経営していた工場が倒産し、差し押さえられた機械で銀行は儲け、口座凍結されたので従業員の給与は未払いのまま。強盗で預金分だけ取り返したから未払い給料を元従業員に届けて欲しいというものだった。男は引き受け仕事を果たした。
やがて男のことが新聞に載り、男の妻から連絡が入って彼の身元が分かった。男とイルマは愛し合っていたのでその事実にショックを受けたが、男は自宅へと向かう。男が妻に過去を聞くと、喧嘩ばかりで夫婦仲は悪く、離婚手続き中に男が行方不明になったが既に離婚は成立し、妻には新しい彼氏がいた。
男はまたあの港町に戻った。そこでは救世軍の親睦会が開かれていて、再会した男とイルマは会場をそっと抜け出し、二人だけの世界に歩き出した。
《感想》暴漢に襲われ記憶喪失になった男は、港町の貧しい家族や周囲の人々に助けられ、見知らぬ町で生活の基盤を築いていく。記憶が戻っても戻らなくても「人生は前に進むしかない」という真理。これからどう生きようか思案しているうち、恋する女性に出会い、生きる楽しさを知って気力が生まれ、好きな音楽と仕事に意欲を示していく。
過去にとらわれず人生をやり直したい、そのために必要なのは良きパートナーと隣人。そう言わんばかりの悲惨だが温かい人間模様が、ユーモラスに描かれて心は和んでいく。
中でも銀行強盗のエピソードがいい。強盗に出くわしても男と女性行員は淡々としているし、やがて強盗から聞かされる裏話と「経営者としてのケジメ」には、失敗した人生を嘆くでもなく潔く締めくくろうとする男の哀愁があった。
この映画には、少し疲れた大人がたくさん登場し、その哀愁を代弁するかのように音楽が流れる。トランジスターラジオとジュークボックスが使われ、おばちゃん歌手と救世軍バンドが歌うフィンランド歌謡曲(?)、唐突に現れる寿司と日本酒とクレイジーケンバンド『ハワイの夜』、みなしみじみとした味わいがある。
この作品自体が歌謡曲の世界のようにも見える。厳しい世間の仕打ちに耐えて、全て失くして社会の底辺をさまよったとしても、人は強く生きていけるもの。そんな前向きな応援歌が、シニカルでシュールな笑いを含んだ淡々とした物語の中で歌われる。優しさと滋味に溢れている。
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