『草の響き』斎藤久志 2021

壊れゆく人の絆とその再生

草の響き

《あらすじ》東京で編集者として働いていた工藤和雄(東出昌大)は、心を病んで妻の純子(奈緒)と故郷の函館に帰ってきた。高校時代の友人・研二(大東駿介)の紹介で通う病院で自律神経失調症と診断されランニング療法を始め、その距離は徐々に伸びている。
一方、札幌から函館の高校に転校してきた彰(Kaya)は、成績もよくスケボーが得意だが泳ぎが出来ず、練習に行った市民プールで知り合った弘斗(林裕太)と、互いにスケボーと泳ぎを教え合う約束をする。弘斗の姉の恵美も加わって三人の交流が始まった。
夜、人工島で花火をしていた彰と弘斗は、走っている和雄を見かけ追走してみた。ついていけない彰が「バスケの練習さぼっているから」と言うと、和雄は「俺も仕事サボっている」と返した。彰はバスケ部の仲間からサボりを責められていて、和雄は学食で皿洗いのバイトをしていた。
いつもの駐車場で、弘斗は彰に高校を辞めようと思っていると告げ、愚痴る弘斗と冷たい反応しか示さない彰は喧嘩になってしまう。それからしばらくして彰は一人、大きな岩の崖まで来ると、服を脱いで海に飛び込んだ。
和雄は純子から妊娠したらしいと告げられるが素直には喜べず、そんな夫を不安に思う妻。実家の東京は遠く、近くに友達もいない。夫婦の溝を感じた純子は、愛犬に「疲れちゃった」と語りかけた。
数日後、走る和雄を弘斗が追いかけてきて「あいつは?」と尋ねる和雄に「死んだ」と弘斗は答える。彰が海に飛び込んで死に、その理由が全く分からないことに弘斗は苛立ちを感じていた。
和雄が日常生活に限界を感じて、研二に頼んで病院通いを初めてから1年が過ぎ、今は安定した日々を送っている。ベランダには純子が洗濯した赤ちゃんの産着が干してあり、それを眺める夫婦と研二だった。その夜、飲んで酔っ払った男二人、家族を持つ和雄と自由気ままな研二は互いをうらやんだ。そして研二を見送った和雄は、睡眠薬を全部取りだし一気に飲み込んでしまった。
翌朝、起きてきた純子はソファーに寝込んで全く反応しない和雄に驚愕する。和雄が目を覚ますと、そこは病院でベッドに拘束されていた。数日して拘束が解かれ回復の兆しが見えた頃、面会に訪れた純子から「生まれるのは女の子」と聞かされ、和雄は自分の行動を詫びた。「私が重荷だった?」という純子の問いを和雄は否定するが、「何でこうなっちゃったんだろう」と純子はつぶやき涙ぐんだ。
純子が荷造りをして車に乗ろうとすると、顔見知りになった弘斗の姉と祖母が通りかかり、愛犬と東京に帰ることを告げた。そして車を走らせるが、和雄からの着信には気づかなかった。
同じ頃、和雄は看護師の監視下で、純子に対する謝罪や感謝の気持ちを留守電に吹き込んでいた。その後、和雄は看護師が目を離した隙に外に向かって走り出し、追いかける職員を尻目に笑みを浮かべ走り続けた。



《感想》心の病から仕事を辞めて帰郷した夫と、夫を支えるために見知らぬ土地について来た妻。夫はひたすら走り続けることで何とか精神のバランスを保っているが妻を気遣う余裕はなく、妻は、周囲との関係を築けないストレスと孤独を抱え、自分が夫の重荷になっているのでは、と悩む。
一方、怠惰な日々を過ごしながらも生きている意味を模索している若者たちがいた。スケボーを通して友情が芽生えたかに見えたが、何も語らず理由も分からないまま一人が突然自殺してしまう。
人は近しい関係にあっても心底分かり合えないものなのか。一人の若者の死が夫婦の溝を感じていた男にさざ波を立てて、予期せぬ行動に走らせる。
そして本作のエンディングは何とも漠として意味深で、不思議な余韻をもたらす。妻の帰京が出産に向けた一時的なものか離婚前提なのか分からず、男が何に向かって、なぜ笑みを浮かべて走っているのかも分からない。ただ男の中で何かが吹っ切れたことは感じ取れる。家族は重荷なのか支えなのか、希望と再生につながる気づきがあったように思えた。
映画は、心の病を抱える辛さとそれを支える苦悩をメインに、夫婦の関係が崩壊していく様を描き、いずれ再生できることを予感させて終わる。そう解釈したが判断は観客に委ねられている。
淡々とした日常に潜む人間関係の機微や人の心の脆さを、静かに繊細に描いている。難を言えば、自死する若者の描き方が淡白に過ぎるように感じた。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!