働く喜びが未来を拓く
《公開年》2008《制作国》イタリア
《あらすじ》1983年のイタリア、ミラノ。労働組合で働くネッロ(クラウディオ・ビジオ)は、急進的な問題児とされ、精神医療センター内の「協同組合180」に異動させられた。そこは5年前のバザリア法制定によって精神科病棟が閉鎖され、行き場のない患者の自立を目的に設立された組織だが、実際には切手貼りなど施しのような仕事をする場だった。
医師で理事長のデルからマネージャーの業務を任されたネッロは、まず入所者に組合員としての自覚を持たせ、組合として機能させようと組合員会議を開き、楽な補助作業とやりがいのある市場参入とで多数決をとった。その結果、市場参入して寄木張りの木工作業をすることに決まる。
しかし障害者への仕事発注に世間は躊躇し、デルからは普通の仕事は彼らの重荷になると批判され、困ったネッロは友人のパデッラに頼んで、彼の店の床張りを任せてもらう。ところが現場監督のネッロが所用で留守にした時、寄木材が不足しパニックになった彼らは、廃材を利用して何とか床張りを完成させる。星をデザインしたその床は絶賛され、これを機に仕事が舞い込むようになった。
組合員にはそれぞれ理事長、会計係、電話係などの役割が与えられ、報酬を得たことでやりがいと自信が生まれた。
やがて組合員に対する過剰な投薬が意欲減退という副作用をもたらすことに気付いたネッロは、デルに薬を減らせないか相談するが、精神疾患は作業では治せないと聞き入れられなかった。そこでネッロは、彼の取り組みに賛同する医師フルランと共に、精神医療センターを離れて新組合を発足させ、その上階のアパートに彼らを住まわせた。
薬を減らしたことで皆は元気と欲望を取り戻していった。性欲のはけ口が必要と考えたネッロは、「EC基金の支援による情操教育形成講座」と称して買春ツアーまで催した。評判を聞いて入会希望者が増え規模拡大を迫られたネッロは、パリの地下鉄の床張り仕事の提案をするが、設備投資のため当面無給と聞くと彼らは反対した。フルランから「皆の反対は君の勝利だ」と言われる。
その頃、ルカと共に作業に出向いたジージョは、その家の女性カテリーナに恋をする。二人は彼女に招かれパーティーに参加するが、ジージョをからかった男をルカが殴って警察沙汰になる。カテリーナは彼らを勘違いさせた自分のせいだと詫び、可哀そうな精神病患者を起訴しないで欲しいと頼んだ。それを陰で聞いたジージョはショックを受け、翌朝、自ら命を絶った。
この事件を機に組合は元の体制に戻った。デルが書いた警察への報告書には、ネッロの取り組みは事件とは無関係と記され、「過ちから学べ」と諭された。しかし、ジージョの死への責任と自信喪失から彼は組合を去った。
ある日、パデッラの下で働き始めたネッロを組合員が訪れ、ルカからパリの地下鉄の仕事を受注すると聞いたネッロは、再び組合に戻る。半年後、仕事も増え運営も順調な組合は、新たな仲間を迎えた。
《感想》1978年「イタリアから精神科病院をなくす」法律の施行で病院から放り出された人たち。それら障害者が施しでなくフツーに働き、生きる喜びを感じていく姿をパワフルなコメディタッチで描いている。
このテーマをコメディにすること自体が冒険だし、一般的良識のモノサシで測ってはいけないのだが、「批判は承知、覚悟の上」の意気込みで、良識を疑われかねない「情操教育形成講座」のエピソードをごく自然に描くところは、実に大らかで笑えた。
障害という重い内容を笑いに変えて、一方でシリアスなメッセージは真摯にしっかり伝える。その落差を難なく昇華してしまうところに、イタリア・コメディの真骨頂が見える。
映画において、専門家の管理下では伸ばし切れない彼らの才能を、破天荒な取り組みで切り開く主人公の行動は痛快だが、悲劇へと走りかねない危うさをはらんでいる。また、受け入れる社会にも十分な理解がないと却って苦しめてしまう現実がある。当初は活動に否定的だった医師の理事長が「活動は有効。過ちから学べ」と励ました言葉が印象的で、この懐の深さが“革命”を成功させたのだと思える。
ただ鑑賞後の余韻があまりスッキリしないのは、悲劇の「その後」に触れなかったからか。悲劇を招いた女子の心の傷、母親の悲しみに対する何らかのフォローが欲しかった気がする。
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