『真昼の欲情』アンソニー・マン

笑いと哀感に満ちた家族の葛藤劇

《公開年》1958《制作国》アメリカ
《あらすじ》大恐慌時代のジョージア州。貧しい農家の主、タイ・タイ(ロバート・ライアン)は自分の土地のどこかに祖父が黄金を埋めたと信じ、息子らと共に躍起になって掘り起こしたため、家の周囲は大きな穴だらけだった。
タイ・タイの妻は既に亡くなり、黄金探しを手伝うのは次男のバックと三男のショウで、次男の美しい妻グリゼルダ(ティナ・ルイーズ)が家事を切り盛りし、男遊びが激しい次女ジルが同居している。
長女のロザムンドはウィル(アルド・レイ)と結婚しているが、ウィルが勤めていた紡績工場が閉鎖になり、彼は酒浸りの日々を送っている。また、ウィルとグリゼルダが元同僚で恋人同士だったため、伴侶であるバックもロザムンドも気がもめる。そして、長男のジムは金持ちの未亡人の元に婿入りし、綿花仲買人として一人裕福に暮らしていた。
ある日、保安官立候補者のプルートが訪れ、地面を透視する秘密の力を持つというアルビノ(白子)がいるとタイ・タイに教え、タイ・タイはアルビノの透視に備えて「神の小さな土地」を示す十字架を移動させた。神の小さな土地とは、信心深いタイ・タイが神を感じる、信仰の場所として今まで掘らなかったが、「もしかしたら」という思いが彼を動かしたのだ。
プルートはジルとの結婚を望んでいて、彼女を連れてウィルとロザムンドの夫婦を迎えに行った。タイ・タイから頼まれたからだ。ウィルはその日も飲んでいて妻に当たり散らした。
その頃、タイ・タイにさらわれてきたアルビノのデイヴは、柳の枝を持って黄金探しをさせられていた。探り当てたのが偶然「神の小さな土地」だったため、タイ・タイは再び十字架を別の場所に移した。
その場所を懸命に掘るが黄金は見えず、バック、シヨウの兄弟とウィルの喧嘩が始まる。また、ウィルとグリゼルダの仲も再燃しそうになる。
穴を掘っても成果はなく、金にも困ったタイ・タイは長男ジムに金を借りようと出向く。幼い頃から父親と仲違いしてきたジムは冷たく、その態度に怒りながらもタイ・タイは金を借りることができた。帰りに一行は酒場に寄り、泥酔したウィルは工場の電源を入れると騒いだ。
皆になだめられて帰宅したウィルだったが、気持ちが収まらず再び工場に向かって中に入り、その後をグリゼルダが付いていく。ウィルが機械の電源を入れ工場に明かりがともるが、異変に気付いた守衛に撃たれ、彼は遺体となって家に運ばれた。
ウィルの葬儀が済んで家族はタイ・タイの家に集まるが、ジムがグリゼルダを口説き始め、ジムとバックの喧嘩が始まって、そのはずみでタイ・タイが怪我をする。黄金探しにかまけた報いと感じたタイ・タイは、もう穴掘りはやめて畑仕事に精を出すことを誓う。やがて、家族揃って畑仕事を始め、バックは妻に優しくなって夫婦仲も良くなった。だが、畑に祖父のスコップらしき物を見つけたタイ・タイは、また穴を掘りだすのだった。



《感想》自分の土地のどこかに祖父の埋めた黄金があるはずと穴を掘り続ける貧しい農夫は、神にすがり迷信に頼って、家族を巻き込んだ騒動を繰り広げる。
家族関係も絡み合っていて、元恋人だったという次男の妻と長女の夫はヨリを戻しそうになり、金持ちに婿入りした長男も弟の嫁に手を出すという節操のなさ。一見信心深そうな農夫にしても金に目がくらんで、信仰の場である「十字架」を簡単に動かしてしまう。貧しさゆえに、物欲と性欲が剥き出しになった人間の姿が、ユーモアと哀感をもって描かれる。
一方、町工場が閉鎖され、死に瀕している町を工場再開で蘇らせようとする男は、無謀な行動に出て悲劇を招いてしまう。夢の実現に向けて行動する男たち、彼もその一人には違いないのだが、どこか苦悩を引きずっていて、世相を直に反映したような悲哀が付きまとう。全編無軌道な方向性の中で特異な存在として際立っているし、猥雑さに走りがちな映画に歯止めをかけている。
だが本作の魅力はやはり、欲こそが生きる力と言わんばかりのエネルギーの中に「家族とは、生きるとは」というメッセージが見えるところ。欲だけでなく愛があって、笑いの中に哀愁が漂っている。隠れた傑作だと思う。
それにしてもこの邦題はいかがなものか。『神の小さな土地』では堅すぎるし、『真昼の欲情』では誤解されそうな気がする。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!