『ペトル―ニャに祝福を』テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ

宗教の視点から女性差別を問う

ペトルーニャに祝福を

《公開年》2019《制作国》北マケドニア他
《あらすじ》北マケドニアのシュティプ市。32歳になるペトル―ニャ(ゾリツァ・ヌシェバ)は、大学は出たものの仕事に就けず、両親から疎ましく思われながら実家暮らしをしていた。
そんなある日、母親ヴァスカのツテで探してきた就職面接に出かけることになり、「綺麗な格好をして、25歳と言うよう」に母から言われて送り出され、友達からワンピースを借りて面接に臨んだ。
そこは大勢の女性がミシンを踏む縫製工場で、縫製経験はなく大学の専攻は歴史学だというペトル―シャに面接官はけんもほろろで、セクハラまがいの行為に及んで、彼女は追い返されてしまう。
その面接の帰り道、ペトル―ニャはキリストの受洗を祝う「十字架の儀式」の場に遭遇する。儀式は、司祭が十字架を川に投げ入れ、それをつかみ取った者は1年間幸せに過ごせるというもので、女人禁制の祭りだった。
参加する男たちが川に入って待ち構え、川沿いに佇むペトル―ニャだったが、偶然自分の前に流れてきた十字架を見て、思わず川に飛び込んでつかみ取り高く掲げた。しかし周囲の男たちに奪われ、奪い合いという前代未聞の事態に司祭は戸惑い、会場が混乱する中、ペトル―ニャは十字架を奪って逃走した。
消えたペトル―ニャに男たちは怒り、警察まで加わって現場が混乱する中、取材に来た女性レポーターのスラビツァ(ラビナ・ミテフスカ)は、「この珍事に違法性はあるか」と問うが明確な答えはなく、関係者は「神聖な伝統への冒涜」と言い、一般市民は関心を示さなかった。
帰宅したペトル―ニャは、テレビのニュースで全てを知った母ヴァスカと喧嘩になり、信心深い母から「罰当たり。出て行け」と怒鳴られ、十字架を持って出て行こうとするが、ちょうど訪れた警察によって連行されてしまった。
警察に連行されたペトル―ニャは取り調べを待ち、その間、警察署長と司祭はどう対処するか話し合った。一方、十字架を盗られたと主張する男たちは、罵詈雑言と暴力でペトル―ニャを攻撃し、彼女は恐怖と疲労感に晒されていくが、あくまで気丈に振る舞った。
そんな彼女の真っ直ぐな強さと勇気を若い警察官ダルコ(ステファン・ブイシッチ)は称え、彼女を暴漢の手から守ろうとするその姿は、ペトル―ニャの頑なだった心を少しずつ溶かし始めた。
リポーターのスラビツァは男性優位社会を批判し騒動は続くが、警察に検事が到着して質疑が済んでまもなくペトル―ニャは釈放された。警察署の前で見送る司祭にペトル―ニャは「もう必要ない」と十字架をそっと差し出した。清々しい笑顔で署を後にしたペトル―ニャは一人雪道を歩き出した。



《感想》実話を基にした作品とのことだが、どこか寓話的な雰囲気を持っていて、パワフルで風刺に満ちている。
就職の機会を逸して両親と実家に住まう32歳の女性は、自立せよという母親のプレッシャーとままならない現実にヘキヘキしていた。そんな彼女に深い思いがある訳でもなく、目の前の「幸運が訪れる」という十字架にすがるように飛びつくが、女人禁制の行事だったため騒動に巻き込まれてしまう。
映画のテーマは、女性レポーターの「男性優位、女性蔑視」の社会批判によって語られるが、ヒロインのペトル―ニャはそれに同調する訳でもなく、淡々と耐えて信じた道を歩んでいく。
その糸口は、同じような閉塞感を抱えた若い男性警官ダルコに出会えたこと。ダルコは、彼女の真っ直ぐな強さと勇気を称え、彼女を暴漢の手から守ろうとし、その姿にペトル―ニャの頑なだった心は少しずつ溶けていって、共感者を得たことで気持ちに余裕が生まれていく。
そして、追い込まれた状況を自らの判断で超えていく精神力を身につけ、人として一回り成長したペトル―ニャにとってもはや神も十字架も必要なかった。
本作の女性監督は多分、単なるフェミニズム的な主張だけでなく、些細なことは気にせず、女性が楽に自由に生きられる社会を訴えたかったのではないか。
でも、違法性とか女性解禁の論議はアヤフヤなまま。宗教や伝統とは何らかの閉鎖性を避けられないもののようだ。いろいろ考えさせられる地味な良作だった。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、偏屈御免。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!