『大切な人を想うとき』コ・フン

死生観を巡る気丈な母とダメ息子の葛藤

大切な人を想うとき

《公開年》2019《制作国》韓国
《あらすじ》映画の脚本家デビューを目指すも鳴かず飛ばずのユル(オ・ソンウク)は、自分の夢を叶えようとして詐欺に遭い、済州島の実家に戻ることにした。そして、ベテラン海女である母スクジャ(ムン・ヒギョン)が末期がんを患っていることを聞かされる。
ところがスクジャは化学療法による治療を拒否し、「好きに生きたい」と普段の生活を続けている。海に潜る漁の仕事と、観光客向けにホールで催す海女踊りの仕事だった。母をホールまで送り、待つ合間に近くのカフェに立ち寄ると、そこのオーナーは幼馴染のエラン(キム・ウンジュ)だった。
その昔、ユルがエランの鼻をかじったという“事件”があったが、今のエランは夫を亡くし一人息子を抱えたシングルマザー。拾った流木で工芸品を作る仕事もしている。店を訪れるシンガーソングライターの弟ジフンとも再会して交流が始まった。
スクジャの夫は子どもが幼い頃、友人の保証人になったことで借金を背負い苦しんだ末に亡くなっていた。それ以来女手一つで子育てをしたスクジャの心残りは、独身で普通の仕事に就こうとしない息子ユルの将来だった。
スクジャは、ユルの義弟ヒョスクが働く銀行への就職を願うが、ユルはまだ夢が捨てきれずにいる。ユルは映画の仕事がうまくいかず、飲んで騒いで自己嫌悪に陥り、深酒をして帰った。そんな夜中、スクジャがこらえきれない痛みを訴えた。
しかし車で病院に向かう途中、飲酒検問に引っ掛かり、スクジャはパトカーで病院に搬送された。そんなこともあってユルは、自分の夢を諦めて銀行で働くことを条件に、スクジャに治療を受けるよう再び説得にかかる。
そしてユルはヒョスクに働き口を頼み、書きかけの原稿と脚本指南テキストを燃やすゴミに出した。一方、スクジャは家を売ってユルの借入金を返済し、残った金をユルに渡そうとして、またしても言い合いになった。
ある日、エランの弟ジフンが島ののど自慢大会に出るというので見に行ったユルは、舞台に立った母の姿を目にする。曲は『ツバキお嬢さん』で、亡夫が求婚の際に歌った思い出の曲を死ぬ前に歌いたくて、と理由を述べた。ユルは母の歌に聴き入った。
義弟の紹介で銀行勤めが決まったユルに、スクジャは「来週入院する。映画は続けて」と告げた。原稿とテキストは燃やさずに残しておいてくれた。
母が踊る海女踊りの最後の舞台をユルは見に行った。そしてスクジャは今日も海へ。しばらく岩に佇んだ後、海に潜り、やがて帰らぬ人となった。
母がいなくなったその部屋にはたくさんの家族写真が飾られていた。ユルは葬儀を終えて、母ののど自慢ビデオを見る。そして母の言いつけ通り、車ではなく自転車でエランのカフェに行った。

《感想》何よりも海が好きで海女として生きてきた母は、死を前にして延命よりも自分らしい生き方を選ぶ。そして叶いそうにない夢を追っている息子の将来を憂えていた。一方の息子は、母の期待は分かるし長生きして欲しいし、夢と現実の狭間で葛藤する。二人の言葉は荒っぽくてすぐ言い合いになるのだが、心根は互いを想う気持ちに溢れている。
海で死にたいという願う母と、夢を捨て生きようとする息子は、やがて互いの死に方、生き方を認め合って心を通わせる。終盤はアッケない気もするが、却って余韻が残った。
この母子関係は、是枝裕和『海よりもまだ深く』で描かれた、愛情深き母親と夢見がちなダメ息子の関係に似ている、とふと思った。更に是枝がテレサ・テンの曲の一節に思い出を重ねたように、本作もイ・ミジャ『ツバキお嬢さん』というトロット(演歌)に思いを重ねている。母子ものの王道なのだろうが、感傷的な“歌”がその思いを増幅させているように思えた。
そして印象的なのが長回し。ぎこちない会話、不思議な間合いはどことなくホン・サンス風かと思える。ただ技法として成熟していないので、単なる間延び感とか緩急の妨げのようにも感じた。
監督は本作がデビューというだけで、プロフィールは全く不明。そこはかとない人間関係の機微が描けて、奇をてらわないその作風は今後期待できる気がする。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、映画選びのモットーは温故知新、共感第一、ジャンル無節操、です。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマと愉悦を求めて、偏屈映画ジーサンをやっています。ボケ防止のレビューを書きながら。