大正ロマンと70年代青春の邂逅
《あらすじ》大正時代の東京。商工会議所会頭の息子で大学生の谷川国彦(高岡健二)は、弁士の黒木を首領とし十数名の団員から成るアナーキスト集団「ダムダム団」の仲間になっていた。
ある日、温泉場行の乗合馬車で国彦は令嬢風の娘・しの(高橋洋子)に会い、ビリヤード場で虚無的な男、北天才(荻島真一)と知り合った。北と国彦は意気投合して温泉宿で痛飲するが、朝には北の姿がなく、散歩に出た国彦はしのに偶然会って、更に二人は首吊りをした北の姿を発見する。
その夜は北の通夜が行われ、国彦はしのと共に過ごすが、彼女には常に山口という護衛が付いていた。翌日、しのが東京に帰ったことを知った国彦は、後を追うように東京に戻り、ダムダム団副団長格の平田玄二(夏八木勲)を訪ねた。
ダムダム団は、華族で政界の黒幕・北条寺の令嬢を身代金誘拐する計画を立てていて、それを実行に移す。しかし拉致した娘がしのだった。国彦は驚くが、彼女は誘拐とは思わずに、国彦が自分を口説くための手口と思い込んだ。国彦は人質のしのと一緒に寝た。
数日後、身代金を持った北条寺が護衛を伴ってしのを引き取りに来る。取引はこじれて乱闘になり、金に目がくらんだ平田と国彦はどさくさに紛れて身代金を奪い、しのを連れて脱出した。
しかしトランクの中は少しの札と新聞紙の束で、三人は右翼と左翼の両方から追われる立場になってしまう。逃げる途中、平田の友人が監督する活動写真ロケ隊に会った三人は、撮影用の気球に乗って空へ逃げた。そして林の中に着陸した三人に、ダムダム団が追いつき凄惨な内ゲバが始まるが、平田の剣が冴えて三人は難を逃れた。
しのを東京に帰そうとしたが帰らず、東北にある平田の故郷を目指して三人の旅は続いた。途中、憲兵隊のバイクと制服を強奪し、憲兵を装って銀行強盗を働いた。金を奪って平田の実家に着くと法事の真っ最中で、弟の嫁に銀行強盗を見破られて家を飛び出す。
村をあげての山狩りが始まり、三人は山中の小屋に逃げ込むが、そこに現れたのは平田の父親だった。父親は持参した毒入り饅頭を自ら食べて死んだ。
三人は満州に渡ることを思いつき港町に行くが、その頃東京では、ダムダム団が政府の要人を襲撃して黒木が亡くなった。そのことを新聞で知った平田は泣き、そんな平田が哀れでしのは平田に身を預けた。国彦としのも結ばれた。
翌朝、平田は黒木らの遺志を継ぐべく、東京に戻ってテロを敢行して射殺された。国彦はこれ以上しのを巻き込むまいと浜辺に残して、一人船で満州へと向かうが、待ち伏せていた北条寺の護衛らに襲われて命を落とした。夕焼けの中、一人浜辺で待つしのはでんぐり返りを繰り返している。
《感想》「映画は所詮遊び。だから面白い」というセリフがあるが、その言葉に集約される映画かと思う。
大正ロマンにアメリカンニューシネマのテイストを盛り込んで、荒唐無稽な展開を目論んだのは脚本・長谷川和彦で、そこに神代が70年代の屈折した青春の空気を吹き込んだということか。
全体に軽妙なドタバタというか緊迫感のない緩めの活劇で、アナーキストたちの群像劇でありながら政治色は感じられず、逃走劇なのにサスペンス色はない。70年代青春映画にありがちな虚無感とか悲壮感もさほど感じられない。
「ないないづくし」の果てに漂うのは、気だるい空気感と侘しさ、寂寥感で、登場人物の周辺にはどこか哀愁が漂い、遊びながらブツブツつぶやく戯れ歌のアンニュイ感が奇妙にマッチしている。これが時代の空気だったのかはよく分からないが、この薄味感、脱力感は結構心地よい。
得も言われぬ感慨を抱かせるのが執拗に繰り返される“でんぐり返り”。
特に楽しそうではないし、空虚感が漂っている。身の処し方が分からない苛立ちのようにも思える。前年の『恋人たちは濡れた』では、砂丘の馬跳びを延々と繰り返したが、似たような、若者の心象風景が見える気がした。
この当時の神代にはよく“菩薩”が登場するが、本作の高橋洋子にも“菩薩感”が漂っていた。
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