『この世界に残されて』バルナバーシュ・トート

孤独な少女と中年医師の静かな愛

この世界に残されて

《公開年》2019《制作国》ハンガリー
《あらすじ》1948年のハンガリーの首都ブダペスト。ナチスによるホロコーストで両親と妹を失った16歳のクララ(アビゲール・セーケ)は、大叔母のオルギ(マリ・ナジ)に引き取られ二人で暮らしていた。
ある日、生理不順を心配したクララは、婦人科医のアルド(カーロイ・ハイデュク)の診察を受ける。彼は42歳で一人暮らしだった。
数日後、クララは生理が来たと報告に訪れ、帰宅するアルドのアパートまで付いてきて、さまざまな話をした。反抗的で嫌みな話しぶりだが、アルドはその奥の思いまで理解しているようで、「私は残された者」と言いながら彼女が体を寄せてきた時も、動揺を隠して優しく受け止めた。
それ以来アルドとクララは打ち解けて話すようになり、ある夜、外で抱き合っているところをオルギに見られ、あらぬ誤解を招いた。オルギはアルドに相談し、もう一人の保護者になって欲しいと頼んで、アルドは了承する。それからのクララは、二つの家を行き来して暮らすようになった。
二人が一緒に過ごす時間は増えて、クララはアルドに亡き父の面影を重ね、アルドもまた一人暮らしにはない充実感を感じ始める。
アルドがクララに自らの過去を語ることはなかったが、ある時、置手紙で「私のことを知りたければアルバムを見るといい」と伝え、アルドの家族写真を見たクララは泣き崩れた。アルドに自分と同じ心の傷があることを知ったクララにとって、アルドは一層かけがえのない存在になっていく。
しかし、時代はスターリン率いるソ連の影響下にあって、共産党の監視下に置かれた社会では、二人の行動は周囲の疑惑を招くことになる。クララは学校の教師から詰問され、アルドは、家族を守るため共産党に入党した友人の医師から要注意人物のリストに入っていることを聞かされた。
やがてクララは化粧をしてダンスパーティーに行くようになる。アルドは父親の顔で心配するが、それをよそに男子学生のペペと知り合い、一緒に映画を見に行く間柄になった。一方のアルドも、診察を受けに来た女性エルジのことが気になっていた。
ある夜、寝ていると外が騒がしくなり、アルドはとっさに官憲の手入れと思って、クララにオルギのところに行くよう言い渡すが、近所での騒動で収まり安堵するのだった。
翌朝、アルドはクララに、エルジという女性に出会って交際していることを伝え、それを聞いてクララは嘆き悲しむが、そのクララもペペとのデートを重ねていた。
それから3年が経った1953年。アルドとエルジ、クララとペペがオルギの誕生パーティーに集う。折しもスターリン死去の報が流れた。これでアメリカに行けると喜ぶクララとペペの姿に、アルドには素直に喜べない感情がこみ上げてきて、それを必死にこらえた。アルドとクララは、互いの気持ちを推し量るように見つめ合った。

《感想》戦時下のホロコーストで家族を失い孤独な日々を送る一人の少女が、父の匂いを持った男性に心惹かれ、一方、家族を失くして死んだように生きてきた中年医師は、父のような思いで接するうち父親以外の感情を抱いていく。
親子のようであり男女であるような微妙な感情が生まれて、二人とも自らの気持ちを整理しかねていたが、やがて二人に別の出会いが訪れ、それぞれの希望に向かって歩き始める。互いに少しの思い残しと切なさを抱えながら。
そんな繊細過ぎる心理のヒダを静謐に描いた映画。特に大きな事件は起こらず、あまり起伏のない展開に若干の退屈さは否定できないが、説明的な映像やセリフがほとんどないという表現スタイル、奥行きのある静かな感触に魅かれた。
ホロコーストの悲惨さを具体に描かずして、二人が背負った大きな悲しみで想像させ、具体に愛を語らずして、二人の仕草や表情で愛の深さを描き切っている。「描かないこと、語らないこと」が却って新鮮に映った。
特にラスト、スターリンの時代が終わって新たな人生が開けようとするその時、集う5人のそれぞれの感情が交錯し、アルドとクララは言葉にならずに見つめ合う。静かで深い余韻を残していた。
監督は1977年生まれの新鋭で、本作が監督2作目(公開は本作のみ)とか。今後要注目の映画作家であることに違いはない。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、映画選びのモットーは温故知新、共感第一、ジャンル無節操、です。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマと愉悦を求めて、偏屈映画ジーサンをやっています。ボケ防止のレビューを書きながら。