美しくも残酷な大人の寓話
《公開年》2000《制作国》韓国
《あらすじ》山あいの湖に“島”のように小屋船が浮かび、そこの管理人をするヒジン(ソ・ジヨン)は釣り客の移送と移動販売、夜には売春もして生計を立てている。そこに、恋人を殺害し死に場所を求めて元警察官のヒョンシク(キム・ヨソク)がやってきた。
ヒョンシクは小屋船の中で一人嘆き悲しみ、その姿を見たヒジンは訳ありの様子が気にかかり、ある時、拳銃で自殺しようとしたヒョンシクを危ういところで思いとどまらせた。それ以来、ヒジンは自分なりに交流を持とうとヒョンシクに働きかけ、ヒョンシクは心の落ち着きを取り戻した。
しかし、二人とも愛情の示し方が分からず、互いに傷つけ合ってしまう。苛立ったヒジンは、出張売春婦のウナ(ソ・ウォン)を呼んでヒョンシクの小屋船に送り届けるが、ヒョンシクはウナを抱かなかった。ところがウナの方がヒョンシクに好意を寄せ、小屋船に通うようになる。誘惑に負けてヒョンシクがウナと抱き合うのを見て、ヒジンに嫉妬心が芽生えた。
そんなある日、小屋船に警察の検問のボートが現れる。隣の小屋船にいた指名手配中の男が拳銃で撃たれ逮捕される一部始終を見ていたヒョンシクは、咄嗟に釣り針を口に入れて自殺を図った。不安になったヒジンはヒョンシクの小屋船に向かい、苦しむヒョンシクを救い出し、かくまって蘇生させた。
その後も通うウナに嫉妬したヒジンは、ウナを殺害し、更に探しに来た元締めの男も殺害して、水中に沈め証拠隠滅を図った。
やがてヒジンは商売そっちのけでヒョンシクに執着するようになり、それに耐えられなくなったヒョンシクはヒジンを小屋船に置いて舟で去ろうとする。それに気づいたヒジンは、釣り針を性器に入れ自殺しようとした。その絶叫を聞いてヒョンシクは小屋船に戻り、その後、二人にやっと平穏らしきものが訪れる。
ある日、釣り中に高級時計を落とした客がダイバーを呼び、ウナの死体が上がってしまう。警察が来て捜査が始まる中、ヒジンはヒョンシクの小屋船に向かい、舟のエンジンを外して小屋船につけ湖上を移動していった。
二人だけの世界に入り、水草の中に裸で入り込みさまようヒョンシク。(カメラを引くと)その水草は舟に裸で横たわるヒジンの陰毛だった。
《感想》舞台は山あいの湖で、釣り人と訳あり人だけが集うような閉ざされた空間。管理人のヒジンは、そこに生活の全てがあって、この地に縛られているようでもあり、逃亡者のヒョンシクは、自らの罪と絶望を背負ったドン詰まりの状況にある。いわば行き場のない切羽詰まった二人が、傷を舐め合うように強く結びついていく。
二人の愛は不器用で暴力的で痛々しい。孤独な女は愛を知ったがゆえに何としても失うまいと執着し、男は死ぬことも出来ず呪縛からも逃れられない。二人の心の内まで理解できないまでも、やり場のない不安感と孤独感、エゴに満ちた愛が息苦しいまでに伝わってくる。そして不思議なメタファーで描かれるラストシーンだが、二人がどうなったのか、愛の結末は漠としていた。
映画祭で嘔吐や失神する人が出たというほど、残酷な動物虐待描写が頻繁に出てくるので観るには覚悟が必要。そして釣り針による自傷行為など観る側も痛みを感じるほどに過激である。
ただ、他者に、あるいは自分自身に向かうその憎しみや残酷さは、独特の幻想的で詩的な映像の中に描かれ、そこに刹那的で自虐的な痛みとか、キム・ギドク流の愛や優しさとか、どこかピュアな別の感情を含んでいるように思えてくる。この監督の美学とか屈折した感性は掴みどころがない。
後味のいい映画ではないが、露悪的なまでの暴力性に、愛とその痛みと切なさを描いた大人のファンタジーのように思えた。
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