『モロッコ、彼女たちの朝』マリヤム・トゥザニ

抑圧された女性は共に支え合い

モロッコ、彼女たちの朝

《公開年》2019《制作国》モロッコ、フランス、ベルギー
《あらすじ》モロッコのカサブランカ。臨月を迎えた女性サミア(ニスリン・エラディ)は街をさまよい、仕事と住まいを探すがどこでも断られ、小さなパン屋を営むアブラ(ルブナ・アザバル)の店でも断られてしまう。
アブラは未亡人として娘のワルダを育てているシングルマザーで、夜になっても行く当てがなく店の向かいの軒先に佇むサミアが気になって見過ごせず、声をかけて家に招き入れた。
明朝には出て行って欲しいと伝えるが無理に追い出そうとはせず、ある朝、サミアは親切にしてもらったお礼にと、パンケーキのルジザを作った。それが絶品だったため店頭に出すとすぐに完売と好評で、しばらく店を手伝うことになる。
しかし、サミアと娘のワルダが仲良くしているのを見て、娘への悪影響を心配したアブラはサミアを追い出してしまう。ワルダはそれを知って怒り、アブラも追い出したものの気になって、夜の街を二人して探した。見つけたが、態度がコロコロ変わるアブラにサミアは怒りが抑えられず、アブラはそれをなだめて連れ戻した。サミアは、子どもを産んだら養子に出して実家に帰ると言い、それならここで生んで出て行けばいいと、アブラは返した。
サミアはふしだらな女という好奇の目で見られながらも店で働き始める。ある日サミアが、アブラが好きだったという歌手のカセットテープを流していると、ワルダがその曲を流すと母が怒ると言う。それは亡き夫との思い出が宿る曲だった。彼女に無理に聴かせ、それを拒絶して言い合う強情な女同士、やがて気持ちが通い合う。夫の死以後、気持ちを封印してきたアブラだった。
漁師だった夫を事故で亡くしたアブラは、妻なのに遺体に触れられず埋葬に立ち会えない、イスラム社会における女性の立場の弱さを嘆いた。その日からアブラは変わり始め、化粧をして容姿を気にするようになった。
やがてサミアが産気づき、無事に男児を出産する。しかし、明日には手放す子だからと、顔も見ず、名前も付けず、乳をあげようともしない。翌日になっても頑なに赤子を拒否するサミアだったが、泣き続ける赤子には勝てず、乳を与え、愛おしそうに頬ずりをして添い寝した。
アブラは考え直すよう説得するが、「この子は私といると不幸になる。養子に出せば別の人生を生きられる」と繰り返すばかりだった。それでもアダムと名付けたという。
次の日の早朝、サミアは赤子に乳をあげ、愛おしそうに歌い、声に出さないように泣いた。そして赤子を抱き、まだ眠るアブラやワルダを起こさないようにそっと家を出て行った。



《感想》イスラム社会のモロッコでは、妊娠中絶は違法で、未婚の母から生まれた子は「罪の子」として厳しい人生を強いられるという。その境遇にあるサミアは、生まれたら養子に出して別の人生を歩ませたいと決めている。
また、埋葬の場に女性が同席できない因習があって、事故で夫を亡くしたアブラは、最期の別れを許されなかったその日以来女性であることを忘れ、心を閉ざしてしまった。
このヒロイン二人は何とも強情っ張りで弱音を見せない。だがそうしなければ生きていけない背景が徐々に見えてくる。
やがてサミアは、生まれた我が子への愛おしさから母性に目覚め、アブラは化粧を施し女性的な柔らかさを取り戻す。偶然出会った二人だったが、互いの人生、傷の痛みに思いを馳せて自分の生き方を見直していく。
映画はあえて説明的な表現を避け、ヒロインの表情や仕草に思いを込めて、静かに丁寧に心の機微を描いていく。そして多くを語らず解釈を観客に委ねてしまう。
イスラム社会の常識に疎い多くの人にとっては情報不足の感があり、男尊女卑の偏狭で不自由な世界のように映るが、世界各地そこに暮らす人なりの宗教観、世界観があって、幸福感もそれぞれかと思う。
作り手のメッセージは、イスラム社会の理不尽さとか、声高には言えないフェミニズムの主張にあるのだろうが、描かれた世界はそれだけでなく、女性に優しい男性が登場し、女性自身の意識にも少しずつ変化の兆しが見えて、未来へのわずかな希望と温もりが感じられた。
若手女性監督による長編デビュー作だが、骨太で抑制された力強さを秘めている。

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投稿者: むさじー

映画選びのモットーは温故知新、共感第一、我流偏屈、です。感情を揺さぶられる、そんな映画との出会いがファン最大の喜びだと思っています。 「My Favorite Movies 1001」を目指します。