『茜色に焼かれる』石井裕也 2021

世の理不尽に耐える母子の生きざま

茜色に焼かれる

《あらすじ》シングルマザーの田中良子(尾野真千子)は夫の死後、小さなカフェを切り盛りしながら、中学生の息子の純平(和田庵)を育ててきたが、コロナウィルスの影響で店を閉じ、今はホームセンターの花屋のバイトと風俗嬢の仕事を掛け持ちしている。
良子の夫の陽一(オダギリジョー)は7年前、元政府高官の老人・有島が運転する車に撥ねられ死亡していて、有島はアルツハイマー病だったことから罪に問われず、良子は加害者側から謝罪がないことを理由に賠償金の受け取りを拒否していた。その有島が92歳で死去し、葬儀に出向いた良子だったが、遺族らに冷たく追い払われてしまう。
亡夫陽一は生前バンドマンで、かつての愛人との間に子どもを儲けていてその養育費と、脳梗塞から施設入居を余儀なくされた陽一の父の入居費用を良子が払い続けている。陽一の命日にはかつてのバンド仲間が集まるが、言い寄る男はいても真の助力は得られなかった。
純平は学校でいじめに遭っていた。良子が風俗で働いていることを知っているらしく、それをネタにからかわれるが、良子が学校に抗議しても相手にされない。純平の成績は優秀で、良子は彼に期待をし励ますのだった。
良子が働く風俗店にはケイ(片山友希)という同僚がいて、理不尽な日々に疲れ果てた良子の愚痴を聞いてくれた。そのケイは、幼少期から父親の性的虐待を受けてきて、また糖尿病を抱えた身で、良子とは呑んで本音を言い合う仲になり、純平はほのかな想いを寄せるようになった。
そんなある日、良子は中学時代の同級生の熊木に再会する。離婚したという熊木から食事に誘われ交際に発展して、いつしか結婚を意識するようになった良子は、風俗店店長の中村(永瀬正敏)に店を辞めたいと申し出る。
そして良子は意を決して、熊木に風俗店で働いていた過去と愛を打ち明けるが、熊木は態度を豹変させ、離婚は嘘で妻子がいて、あくまで遊びだと言い出し良子は悲嘆に暮れた。
ケイもまた壮絶な人生を歩んでいた。ヒモのようなDV男と同棲していて、妊娠したが堕胎を強要され、その施術の際に子宮頸がんが見つかり、しかも進行していた。
純平に対するいじめは更に過激になり、ベランダに置いた本に放火されてボヤ騒ぎを起こし、迷惑と責められ団地から追い出されてしまう。
自棄を起こした良子は、その矛先を熊木に向け包丁を隠し持って熊木に会うが、後をつけた純平の機転で中村とケイが駆け付け、大事に至らずに済んだ。
それから間もなくケイが死んだ。自殺か事故かは不明だったが、ケイから二人宛てに残されていた封筒には、多額の現金が入っていた。
元アングラ女優だったという良子は、義父が入所している施設のオンライン慰問公演で、「神様」と題する一人芝居を演じた。それは動物のぬいぐるみを陽一に見立て、彼への愛と恨みを告白するものだった。



《感想》コロナ禍の中、社会のあらゆる抑圧と理不尽に打ちのめされ、加えて意固地で不器用な生き方が災いして不幸な境遇から抜け出せない。そんな母子の切ない物語。
男性優位の社会にあってセクハラ、パワハラをはじめ、DV、いじめ等々、弱者に対する風当たりが強い中で、シングルマザー良子の処世術は「芝居が得意なこと」だった。
良子は息子にルールを守ることの大切さを説き、自身も世間のルールに沿って生きている。口癖のように「まぁ、頑張りましょ」と自分に言い聞かせ、感情を押し殺して生きている。その言動はどこか演技的である。
しかし、ルールを守ることは社会人として大切だが、社会はルールに沿って人を守ってはくれない。だから、良子の怒りは爆発した。
怒りの矛先は、社会的な仕組みとか理不尽さにではなく、卑近な怨恨の対象である交際相手へと向かう。本来怒るべき相手に怒れず、上げた拳を振り下ろせず、感情のはけ口を向けやすい相手にぶつけたということか。欺いて希望の灯りを消した相手だが、男の横暴に対してより大きな暴力で対処したことに後味の悪さが残った。
また、理不尽な人物が次々登場しながら誰も裁かれないままというのが、社会的なコミットメントを投げ出し、問題の本質を避けたかのようで、映画として不完全燃焼に思えるし、母と子の愛が拠り所という着地点にも安易なものを感じた。
ただ救いは役者と作り手の熱量が伝わってくること。とりわけ尾野真千子の凄さに圧倒される。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。