『ちいさな独裁者』ロベルト・シュベンケ

権力と服従が招いた不幸な実話

ちいさな独裁者

《公開年》2017《制作国》ドイツ
《あらすじ》1945年4月、敗戦ムードが漂うドイツでは脱走兵による略奪などの犯罪が相次いでいた。脱走兵ヴィリー・へロルト(マックス・フーバッヒャー)は追われながらも命からがら逃げ、飢えと寒さに苦しみながらさまよっていると、ぬかるみにハマった1台の軍用車両と、車内に残された将校の軍服を見つけた。
軍服を着たところにフライターク(ミラン・ペシェル)と名乗る一人の兵士がやってきて、大尉に成りすまし居丈高になったヘロルトの運転手をすることになる。町の食堂に入ったヘロルトは、「脱走兵による被害額を調査し、それを弁償する任務」であると嘘をついた。
次に立ち寄ったのは農家。そこは既に粗暴な脱走兵たちが占拠し大騒ぎをしていた。ヘロルトは彼らに任務を手伝うよう命じて「ヘロルト親衛隊」を結成して移動を続けた。
途中車がガス欠になって人力でけん引しているところへ、警備隊が来て尋問を受けるが、総統直々の任務を遂行していると嘘をついて逃れ、警備隊車両にけん引されて脱走兵を取り締まる検問所に着いた。そこでかつて脱走したヘロルトを追いかけたことのあるユンカー大尉に再会する。
しかし正体はバレずに犯罪者収容所に案内された。ここには軍規違反をしたドイツ兵が収容されていて、警備隊長シュッテは脱走兵が増え、収容が限界に達していることに苛立ちを見せた。司法当局からの指示がなければ処刑できない
ためで、囚人の処分を総統に口添えして欲しいと訴えた。ヘロルトは誘導されるまま、ハンゼン所長の反対を押し切ってゲシュタボから全権委任を取り付けた。
こうしてヘロルトは、法による正当性を無視した即決裁判によって、囚人たちの処刑を実行に移す。「30人を3回でやれ」と命じ、囚人たち自らが掘った巨大な穴に押し込め、機関銃で大量殺害するという残虐な方法で処刑を行っていった。
一日で90人もの囚人を処刑した夜、収容所では盛大な宴会が開かれた。処刑を免れ残された囚人も数名いたが、酒を飲み権力に酔いしれるヘロルトの横暴はどんどん過激になっていき、犠牲者は増えてあちこちに死体が散乱した。
やがて連合軍による空爆を受け、収容所は跡形もなく吹き飛ばされるが、ヘロルトと親衛隊員数名は生き残った。
彼らは「ヘロルト即決裁判所」と書いた車で移動して、公開処刑と称した殺戮を繰り返し、通行料として金品を奪うなどの悪行を繰り返した。しかし、そんなヘロルトも遂に野戦憲兵に捕まる。
法廷では死刑か、前線に送るかで意見が対立したが、その日の夜、ヘロルトは窓から逃げて脱走した。向かったのは白骨死体が折り重なる森だった。しかしその後、連合軍に捕まってイギリスで処刑された。21歳だった。



《感想》敗戦直前のドイツで、疲弊した兵士たちによる脱走や犯罪が頻発する中、脱走兵の若者ヘロルトは偶然手に入れた軍服を着て将校に成りすまし、瞬く間に残虐な支配者へとのし上がっていく、という実話に基づく物語。
20歳の若者が軍服を身に着けただけで‥‥とにわかに信じ難い話だが、映画は笑いを挟まず、殺戮に殺戮を重ねていく様を加害者視点でリアルに描いていく。狂気としか言いようがない、重苦しく不快な世界。
また、ニセ権力者の狂気もさることながら、周囲がそれに同調し服従していく過程がアイロニカルに描かれていることがこのドラマを支えている。支配しようとする者、それに盲従しヨイショする者、人間の醜さ、弱さ、心の闇の部分が露呈してくる。
ナチス物のドイツ映画は多く、深い傷跡と共に繰り返さない自省の念が深いのだろうが、それだけではない現代への警鐘が強く感じられるエンドロール。ヘロルト親衛隊の車が現代の都会の街を疾走し、道行く人に絡んだり脅したりのシーンが流れる。過去と現在がシンクロし、内容は昔の実話だが現代にも通じる寓話だというメッセージと解した。
大戦の後も世界で戦争は絶えることなく、誤った権力者と服従者による暴力は引きも切らず、気持ちは暗くなるばかり。皆が服従せず脱走してしまえば争いは無くなるのに、とムチャな妄想を抱いたりもする。せめて「ノーと言える社会」でありたい。
重く暗いが、作り手の真摯なメッセージが伝わってくる。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。