性被害の不条理、復讐の罪を問う
《公開年》2016《制作国》イラン、フランス
《あらすじ》小さな劇団で俳優として活動する夫婦。夫エマッド(シャハブ・ホセイニ)と妻ラナ(タラネ・アリシュスティ)で、夫は高校の国語教師をしている。ある日、二人が暮らすアパートが突然半壊状態になり、避難を余儀なくされる。住宅開発に伴う無茶な工事によるものだった。
その頃、エマッドたちはアーサー・ミラー作『セールスマンの死』の上演に向けて舞台稽古をしていた。劇団仲間のババクの紹介で、新しい住まいに移ったエマッド夫妻だったが、まだ前の住人の荷物が残されていて、何か事情のある転居かと思われた。
稽古が終わった後、先に帰ったラナがシャワーの準備を始めるとチャイムが鳴り、夫だと思ったラナは確認せずにドアを開けて浴室へ入った。
しばらくして帰宅したエマッドはすぐに異変に気付き、近所の人から聞いて病院に駆け付け、ラナが何者かに襲われたと知った。ラナは頭部殴打で額に痛々しい傷を受けていて、前の住人がこの部屋で客をとっていた娼婦だったことから、「前の住人の常連客」が疑われたが、確証はない。
部屋には携帯電話と車のキーが残されていて、キーから近くに駐車中のトラックを発見する。しかし、夫は警察に届けるべきと言うが、妻は誰にも知られたくないと言う。ラナはショックと恐怖から情緒不安定になり、警察沙汰にしないことにエマッドは同意した。
ラナは無理して舞台に立つが、セリフに詰まって舞台は中断した。やがてラナの事件は劇団仲間に知れ渡ってしまう。ある夜、犯人の男が引き出しに金を置いていったことが分かり、エマッドは犯人を見つけ出そうと決意した。
証拠となるトラックはいつの間にか消えてしまったが、ナンバーからパン屋を突き止め、マジッドという青年に目を付ける。エマッドはマジッドに物を運んで欲しいと頼み、前に住んでいた倒壊寸前の家に呼び出そうとした。
現れたのはマジッドの義父(ファリド・サッジャディホセイニ)だった。エマッドは娘婿の素性を教えるから呼び出せと要求した。しかし、男はしどろもどろで不審な行動が目立ち、追及すると足のケガから犯人と分かる。男は、トラックを使って行商をしていて、前の住人の常連客で、犯行を認めた。
怒ったエマッドは、男をクローゼットに閉じ込め、その日の舞台に立った。舞台がはねた後、エマッドはラナを連れて前の家に行き、男に家族を呼んでその前で告白しろと強要した。すると、男が心臓発作を起こして倒れ、二人は驚いて車の中の薬を飲ませて、回復したのを見てホッとした。
家族が迎えに来て、何も言わないままのエマッドだったが、腹立たしさから金を返して殴った。男は平静を装って帰宅しようとしたが、階段途中で再び容態が急変し、救急車を呼び心臓マッサージをする事態になった。
翌日。舞台メイクをしながら、老人とはいえ死に至らしめた事実に後悔する二人だった。
《感想》近代化が進むイラン。行き過ぎた工事でアパートが崩れかけ、住んでいた夫婦が引っ越したその先で妻が暴行事件に遭ってしまう。犯人追及の先に行商をする初老の男が現れ‥‥。
夫婦が主演を務める舞台『セールスマンの死』が挿入される。近代化に適応できない人間の崩壊を描く戯曲だが、映画は急激な変化を遂げている現代イランの状況をその戯曲に重ねる。
事件に遭遇して、夫は警察への告発を望むも、被害者である妻は躊躇してしまう。女性としては性的な質問に答える苦痛だけでなく、自分に責任を転嫁される恐れもあり、これは一般論として理解できるが、男尊女卑の発想が根深いイスラム社会では、更に女性の非が責められるらしい。
本作でもそれを巡って、夫婦の感情にズレが生じていく。また、復讐の過程で被害者の怒りと憐れみ、加害者の悔恨と贖罪という互いの感情が激しくせめぎ合う。追い詰められ倒れた犯人の命を被害者側が助け、詫びる犯人に更に暴力を重ねて死に至らしめる。
正義と悪の有りようが目まぐるしく逆転するが、そう単純に線引きできるものではなく複雑で不可解なものと言っているようだし、その深層心理をえぐり出すようなスリリングな描写が圧巻だ。
余談だが、犯人の家族には各々名前がありながら、男本人には名前がないことを奇異に思った。これは「名もなき男一般」を意味するのか。
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