『悪は存在せず』モハマッド・ラスロフ

死刑執行を命じられたら非情になれるか

悪は存在せず

《公開年》2020《制作国》ドイツ、イラン、チェコ
《あらすじ》4話のオムニバス形式で描かれる。
1)「悪は存在せず」:中年男性のヘルマットはごく平凡な暮らしをしている。仕事を終えると、配給の米を家に運び、学校教師の妻を迎えに行き、妻の愚痴を聞きながら、下校する娘を乗せてスーパーで買い物をする。
彼には一人暮らしの高齢の母がいて、買った日用品を届け、掃除をして入浴と食事をさせる。自分たちはレストランで食事を済ませた。
翌日は午前3時に目を覚まし、シャワーを浴びて、雨の中を車で出た。職場に入り、仕事の配置に着いた彼は何かを待っている。準備完了の知らせが入り彼はスイッチを押した。何人もの絞首刑が一斉に執行され、彼は覗き窓からそれを確認した。
2)「あなたはできると彼女は言った」:軍隊の宿舎は6人の相部屋。夜中の2時に目を覚まし恋人に電話をする新兵のプーヤ。落ち着きのない彼を同部屋の仲間は愚痴を言いながらも慰める。彼はあと1時間後に、囚人の絞首刑の執行を命じられていた。人を殺すことなどできないと彼は悩み、しかし兵士となったからには命令に従わざるを得ない。
銃を持った兵士の前を囚人と共に刑場へ向かう途中、隙を突いて彼は兵士の銃を奪い、兵士と囚人をトイレに閉じ込め、守衛兵はロッカーに閉じ込め、一目散に逃げる。塀の外に出ると恋人の車がやってきて二人は走り去った。
3)「誕生日」:兵士ジャワドは3日間の休暇を貰い、恋人ナナとその家族の元に向かう。彼女の誕生日に婚約指輪を贈るつもりでいる。ところが葬式と重なってしまった。亡くなったのはケイワンという若い政治活動家で処刑されたという。ケイワンはナナにとっていわば先生で、周囲から愛されていた。
ジャワドは嫉妬に駆られるが、ケイワンの写真を見て彼は愕然とする。彼が休暇を前に、兵士の職務として執行した死刑囚だった。彼は憔悴しきってナナに打ち明け、ナナは指輪を受け取るが泣き出し、彼女は敬愛する先生を婚約者が殺したという事実に打ちひしがれるのだった。
4)「私にキスを」:イランに住むバーラムとザマンは、空港で友人の娘である大学生ダルヤを迎えた。ドイツに住む彼女は父親から言われるままにこの地を訪れた。バーラムらは町から遠く離れた山の中腹に住んでいて、養蜂を営んでいるが、元々は医者だったようで、ダルヤの父とは大学の同期だったという。
重い病気を抱えているバーラムは、死ぬ前にダルヤに話しておきたいとダルヤをここに呼んだ。ダルヤの実の父親はバーラムだということを。
バーラムは兵士だった時、死刑囚の処刑を命じられて、妊娠中だった妻をドイツの兄の元へやり、自分はイランの山中に逃げた。その後、妻は亡くなりダルヤは亡母の兄を父として育った。死ぬ前に言うのは身勝手と非難するダルヤを空港に送る途中、バーラムの体調が急に悪化し、車は砂漠に止まったままで‥‥映画は終わる。



《感想》4話のオムニバスから成り、(1)は平和な生活を営みながら死刑執行を生業とする男、(2)は死刑執行の命令に耐えられず兵舎を脱走する男、(3)は犯罪人と思い死刑執行したら愛と正義の人と知って悔やむ男、(4)は死刑執行を拒否し妻子と別れて逃げた過去を我が子に打ち明ける男。
映画で語られるところでは、イランの若者は兵役を務めなければ仕事に就けず何もできない。命令には背けず、2年の辛抱が肝要、ということらしい。
(2)~(4)は、兵役において死刑執行を命じられて、やるか、逃げるかの選択を迫られ、どちらを選んでも後悔や別の葛藤が待ち構えているという話。
そんな時、誰しも思うのは殺人を肯定できるか、恐怖や罪の意識に耐えられるかということで、立場の違う3人の思いはそれぞれだが、自らの良心に従って精一杯の選択をしている。
それに比べ、(1)はもはや仕事と割り切っていて、殺人とか罪の意識とは無関係に機械的にボタンを押している。とはいうものの、心の片隅に逡巡する思いがあって、出勤途上の交差点で青信号を一つ見送るあたりに男の心情が垣間見える。
いずれにしても、兵役や死刑など国家が個人を支配する制度がある中で、自らの正義を通すことはかなり難しいこと。だからそれぞれの選択を描きたい、オムニバスとした意図はこんなところではないか。
個人の正義を通すと国が許さない。海外渡航を禁じられた監督の身の上と重なる。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。