死を見据え老いを生きる
《公開年》2019《制作国》カナダ
《あらすじ》舞台はカナダのケベック州。三つのエピソードで始まる。
1)湖のほとりにある小屋に暮らす3人の老人と3匹の犬たち。そのうちの一人、テッドが突然倒れ、その後、テッドと愛犬の死体が発見された。
2)精神病院に入所している80歳の女性ジェルトルード(アンドレ・ラシャペル)は甥のスティーヴ(エリック・ロビドゥー)の迎えで末弟ポールの葬儀に参列する。葬儀が住んでポールは伯母を病院に送ろうとするが、戻りたくないと言う伯母の気持ちを汲んで、一旦自分が雇われ支配人をするホテルに泊めた。
3)かつてこの地域では山火事によって多くの命が奪われる惨事があったが、女性写真家のラファエル(エブ・ランドリー)は、その時の生存者の取材をしていた。彼らの話題に出た伝説の男テッド・ボイチョクに興味が湧き、彼を最後に見かけたというホテルに向かう。そこはスティーヴが働くホテルだった。
やがて女性二人がホテルを経て湖畔の男たちのコミュニティに近づく。ジェルトルードはスティーヴに連れられて、チャーリー(ジルベール・シコット)、トム(レミー・ジラール)と知り合い、テッドの小屋に住むようになる。ラファエルはトムの歌声に魅かれて二人の男に出会う。
実は彼らの現金収入は大麻栽培で、スティーヴはその売人を副業にし、彼らの物資調達も担っていた。
そして、それぞれの過去が明かされる。テッドは伝説の画家だったが、大火事で家族を失い、苦しみから逃れるために孤独を選んだ。チャーリーはがんで余命1年と告げられ家族と別れた。トムはさすらいのミュージシャンで、何より酒と自由を愛した。
ジェルトルードの過去は悲惨だった。16歳の頃、ささいな奇行から憑き物があると父親の誤解を受け入院させられた。60年以上も外界と隔絶した生活を強いられ、院内では性的暴行も受けたという。
ジェルトルードはここで生まれ変わりたいからと、マリー・デネージュと名を変えた。マリーは寂しさからチャーリーと逢瀬を重ねるようになり、やがて結ばれる。
一方ラファエルは、テッドへの好奇心から彼のアトリエに踏み込み、多数の絵画を目にする。森林火災を描いた沢山の絵と、女性の肖像画が残されていた。
その頃トムは、胸の病とアル中から死期を悟っていた。墓穴を掘り、愛犬と共に青酸カリを飲んで、チャーリーとマリーに見守られこの世を去った。
ラファエルは、自らの写真とテッドの絵画を展示した展覧会を開催し、マリーとチャーリーは二人だけの新たな暮らしを始めた。
《感想》この森に集まった老人は、大火事で家族を失ったり、がんで余命宣告を受けたり、あるいは病院に幽閉された生活から抜け出したいとか理由は様々だが、静かな暮らしの中で、残りの人生をいかに生き、いかに終えるかを常に考えながら生きている。
そこには既存の宗教とか哲学に根差さない、ケベックならではの大自然に身を任せたような独自の死生観があるようで一概に否定はできないが、共感と違和感が相半ばする感想を抱いた。
死は受け入れざるを得ない必然の出来事。これを自然の理として、それぞれの生き方、死に方を肯定する目線で描いている点には共感した。
しかし、青酸カリをもって愛犬と共に死ぬというのが果たして尊厳死、安楽死に値するのか。絶望して苦しんだ末の自殺にしか見えず、見送る側の辛さはいかばかりか。観るのが辛かった。
これは死の手段の是非というだけでなく、作り手にとって見せることが表現の全てではない、もっと観客の想像力を信頼してもいい、そう思わせるシーンでもあった。
加えて、人物へのスポットの当て方が散漫で、画家の絵にまつわる過去、若者の浮ついた恋愛など、脇道のエピソードに踏み込み過ぎて、メッセージがボケてしまった感がある。
だけど、死が見えるからこそ輝く生もある訳で、“老いて生きる喜び”を真摯にストレートに描こうとする、その姿勢が新鮮に映った。
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