『女はみんな生きている』コリーヌ・セロー

パワフルな女性たちに快哉!

女はみんな生きている

《公開年》2001《制作国》フランス
《あらすじ》会社社長のポール(バンサン・ランドン)と妻のエレーヌ(カトリーヌ・フロ)は裕福な二人暮らしだが、ポールはエレーヌを家政婦くらいにしか見ておらず、その仲は冷えかけていた。また、大学生の息子ファブリス(オレリアン・ウィイク)は近くのアパートで恋人フロレンスと同棲中で、母親の干渉を嫌っている。
ある晩、車で出かけたポールとエレーヌは、ひと気のない路地で突然、血まみれの女に助けを求められる。女は追ってきた三人の男に殴られ必死に車のガラスを叩くが、面倒に巻き込まれたくないポールはドアをロックし、女を無視して走り去った。
翌日、女が気になり入院先を突き止めたエレーヌは病院を訪ねた。女は重傷で、エレーヌは警察の捜査に協力しようとするが夫は激怒し、それに反発したエレーヌは付きっきりで看病に努める。あの夜の男たちも彼女の行方を追っていた。
数日後、あの夜の男が病室に現れ女を脅迫して去った。エレーヌはその男の後をつけ、背後から殴り倒して警察に通報し逮捕させた。
女はノエミ(ラシダ・ブラクニ)という名の街娼だと分かる。その後もあの男たちがノエミを誘拐しようと病院に現れるが、彼らの手からノエミを救ったエレーヌは、ポールの母親が住む田舎の家に身を隠した。
そこでノエミは移民として育った過去を語る。母親は自殺し、義母と妹弟がいる大家族で暮らす中、金目的で金持ち老人と結婚させようとした父親から逃げ出し、親切な男トゥキに出会う。しかしトゥキは売春組織の人間で、ノエミは麻薬中毒にされて街娼になった。
ノエミは街娼の傍ら投資で成功し、更に大富豪の老人を手玉に取って莫大な遺産を手に入れる。しかしそれを知った組織の連中は横取りしようとノエミを追い、逃げる途中でポール夫妻の車に出会ったのだった。
数日後、エレーヌとノエミはパリに戻ろうと空港に向かい、そこで探しに来たポールを見つける。エレーヌに隠れるように言ったノエミは、自分を見捨てた男に復讐しようとひと芝居打って彼に接近し、すっかり虜にしてしまう。
パリに戻ったノエミは、トゥキら売春組織の男たちを警察に逮捕させようと罠を仕掛け、作戦は成功してようやく自由の身となった。家族を呼び寄せ、中でも金持ち老人と結婚させられそうな妹ゾラを助けたかった。
ノエミは海辺に家を買って妹と暮らそうと考えていたが、ゾラは父親に連れられ嫁ぐ地に向かおうとしている。その旅立つ日、港に向かったノエミとエレーヌは、父親の手からゾラを連れ戻した。
ノエミが買った海の見える家。エレーヌ、ノエミ、ゾラ、それにポールの母は仲良く肩を並べ、穏やかな海を眺めている。

《感想》主婦エレーヌは、妻を家政婦くらいにしか思っていない夫と暮らし、その身勝手な仕事人間ぶりに怒り、夫婦仲はギクシャクしている。また息子は女性に対して節操がなく、引き起こすトラブルにエレーヌはあきれている。
一方の娼婦ノエミは、アルジェリア移民に生まれ、イスラムの男尊女卑社会で育ち、売春・麻薬組織に身を落とすが、老富豪の遺産を手に入れたことで組織から追われる身となる。そんな二人が出会い、サイテーな男たちによる抑圧から抜け出し復讐を遂げようとする。
サスペンスコメディに深刻な社会問題を取り込んでいるが、重くなり過ぎないようカラッと乾いたタッチで描き、多くのダメ男が登場するが、女性パワーに翻弄されてうろたえる、どこか憎めない存在として描かれている。
そして、起伏に富んだスピーディーな展開と、パワフルな女性の活躍に惹き込まれているうちに、いつしか女性目線になって、爽快なラストに快哉を送っている我が身に気が付く。女性監督の術中にはまったという気がする。
だが、単に男社会を揶揄する映画ではない。むしろ、女性の自立を謳った映画だと思う。
主婦エレーヌが抱えたアイデンティティが定まらない不安な日常。そこへノエミという“非日常”が舞い込み、共感が友情となり、不安を払拭する“生きがい”になって、新しい生き方を目指していく。
ご都合主義満載だが、小粋で軽妙な脚本・演出はさすがフランス映画だと思う。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、映画選びのモットーは温故知新、共感第一、ジャンル無節操、です。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマと愉悦を求めて、偏屈映画ジーサンをやっています。ボケ防止のレビューを書きながら。