使い古した喜びはやがて悲しみになる
《公開年》2006《制作国》アメリカ
《あらすじ》ある日、マーク(ダニエル・ロンドン)は、長らく疎遠だった古い友人のカート(ウィル・オールダム)から、山の温泉に行ってキャンプをしようと突然の誘いを受ける。マークの妻ターニャは妊娠中で、突然の外泊を快く思っていないが、反対もしない。
翌日、二人は久しぶりの再会を喜び、マークの愛犬ルーシーを連れて出発した。道中二人は、親が病気で死にかけたこと、古い共通の友達のことなど、親密さを取り戻そうとするかのように会話を重ねた。
しかし、途中で二人は道に迷ってしまう。ターニャから電話が入るが、そこは携帯の電波も届きにくいような地で、地図を広げても現在地が分からず、結局脇道に止めてキャンプをし、明日目的地を探すことにする。
焚き火を前に二人は、それぞれが置かれている状況を明かしていく。マークは間もなく父親になり、それは楽しみなのだが不安でもある。一方のカートは、自分を縛られることを避けて生きている、と言う。
更に夜間学校の物理で世界の真理を悟ったことを饒舌に語り、「宇宙は涙の雫のように落ち続けている。理論的な説明は困難だが‥‥」と話した後、マークとは友達でいたいのに壁がある、と涙を流した。
翌朝、テントを畳み、レストランで朝食をとる。そこへターニャからの電話が入り、外で妻と話すマーク。ターニャは分離不安症だという。
二人は山道を登り渓流を越えて、周囲を囲っただけの廃屋のような温泉に着く。湯船に栓をして源泉を引き入れ、水を加えて冷ますというシンプルなもので、水の音と鳥の鳴き声だけが響く中、湯に浸かり会話する。
カートは売店で「動揺した」という現実の出来事を話す。ところがその出来事が朝に見た予知夢とそっくりで、夢の中のレジ係の女性は「あなたは大丈夫。悲しみは使い古した喜びなのよ」と、動揺する自分を抱きかかえたと話した。
話し終えたカートは、マークの背後に回り肩を揉み始めた。二人は黙ったまま、二人だけの無言の会話をするように静かなひとときを過ごした。
二人は山を下りて街に戻った。カートを送り届け、別れた後もなおカートを見守るマーク。それを知らないカートは、所在なげに、あるいは何かを探しているように、夜の街を彷徨うのだった。
《感想》家庭を持ち、まもなく父親になる男と、縛られずに生きたいと未だに放浪生活をする男。人生の節目を迎えた彼らは、共に不安を抱えていた。
長らく疎遠だったそんな二人が山奥の秘湯に出かける。親密さを取り戻そうとするが、置かれた立場が違い過ぎて、埋めようのない距離が出来ていることに気付く。互いを思いやりながら、心底では互いに相容れないものを感じている。
こんな再会の気まずさは、誰にも経験がありそうで共感を誘う話だが、彼らの場合はやや複雑で微妙な感情が行き交う。
山奥の秘湯で、カートは黙ってマークの裸の肩を揉み始め、どう応えていいのか戸惑うマークだったが、愉悦の表情で指輪をした左手をそっと湯の中に隠す。そして拒絶も共感も避けるかのように沈黙のまま‥‥。
友情以上の感情を窺わせ、緊張感を宿したまま曖昧に過ぎて、二人を包むような静かな時間が流れていく。官能的な雰囲気を醸し出しているが、このネットリした細やかさはいかにも女性目線という気がする。
カートが口にした「悲しみは使い古した喜び」という言葉通り、二人は“Old Joy”によって繋がってはいたが、もはや昔のような関係には戻れないことを知る。
セリフは少なく、表情や仕草に思いを込めて、言葉にしない分だけ切なく、時が作った人生の機微が見えてくる。そしてジンワリと不思議な余韻が残る。良作だが内向的に過ぎる気がして、好みは分かれそうだ。
幸せな家庭とは何と窮屈で、自由に生きるとは何と淋しいことか。
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