静謐にして優しい異色の仏教世界
《公開年》2003《制作国》韓国、ドイツ
《あらすじ》
【春】山間の湖上に浮かぶ小さな寺に、和尚(オ・ヨンス)と小坊主(キム・ジョンホ)が住んでいた。小坊主は幼さゆえに何にでも興味を持ち、魚や蛙、蛇を捕まえて紐で石に縛り付けて遊んでいた。
それを見た和尚は、眠っている小坊主の背中に石を括り付けた。眠りから覚めた小坊主は涙声で詫び、和尚の言いつけに従って、石を背負ったままイジメた生き物を助けに行く。死んだ魚を見つけて埋葬し、蛙から石を外してやり、蛇の死骸を見て泣いた。
【夏】小坊主は17歳の少年(ソ・ジェギョン)になった。寺を母娘が訪れ、気の病を治したいという少女(ハ・ヨジン)を寺に預けて母は帰った。美しい少女に心のときめきを覚えた少年は、和尚の目を盗んで少女に接近し湖で戯れるようになり、やがて関係が出来てしまう。それに気づいた和尚は、二人が眠る舟の栓を抜き叱責する。少女の健康が回復したのを見て、和尚は少女を追い出すが、彼女に未練がある少年は、仏像を持って寺を出た。
【秋】少年は30歳の男(キム・ヨンミン)になり、裏切った妻を殺して殺人犯になって、寺に逃げてきた。盗んだ仏像を返し、その前で自殺を図ろうとした彼を和尚は戒め、和尚が木の床に書いた般若心経をナイフで彫るように命じた。
そこに刑事が訪れるが、彫り終わるまで待って、文字の色塗りを手伝うのだった。そして男は刑事と共に寺を去り、自分の寿命を悟った和尚は、乗った小舟に火を放ち自らを荼毘に付した。
【冬】中年となった男(キム・ギドク)は、和尚の袈裟を拾い、氷で作った仏像に奉り、心身の修練に努めた。ある日、顔にスカーフを巻いた女が赤子連れで訪れ、赤子を置いたまま去ろうとし、湖に落ちて沈んでしまう。
男は腰ひもで大きな石を引き、仏像を抱えて山へ登り、湖の見える山頂に仏像を奉った。
【そして春】年老いた男の側には、女が捨てた男の子がいた。幼子は、あの春の日の小坊主のように、子亀にいたずらをして明るい笑いを放っている。その様子を山頂の仏像が見守っている。
《感想》キム・ギドクというと、理不尽な社会を糾弾する攻撃性や挑発性が真っ先に浮かぶが、本作にはそんな姿勢は全く見えない。輪廻転生という大きな枠組みの中に、一人の男の人生を季節の移ろいに重ねて描いていく。
幼年期に殺生の業を教えられ、思春期に愛と欲望に目覚め、青年期に怒りや憎悪を知り、壮年期になって世の無常を知って、心の均衡を保とうと無の境地を求める。
仏教的世界観に沿って、因果応報、無欲の教えを説き、その物語は啓示に満ちていて、山間の湖上に浮かぶ小さな寺という佇まいの魅力や、移ろいゆく四季の美しさに圧倒される。
だが何故、従来の作風と全く異なる、静謐で求道者的な映画を撮ったのかが気になる。
公開当時の韓国では「悪い監督のいい映画」と評されたようで、それまでも海外での作品評価が高い割に、芸術家として人としての悪しき行動から国内での評判は散々だったらしく、その汚名返上の意味があったのだろうか。
更に疑問が湧く。「秋の章」で寺が湖上に浮かび動いていることに気付いたが、常に変化し止まることのない寺、そんな仕掛けに込めたものは何か。また、意のままに操れる小舟に何を託したのか。そして「冬の章」の修行僧をなぜ監督自身が演じたのか。何かと含みが多い。
当時43歳の監督にとって、中年になって感じる生の空虚さ、それを克服し心の安寧を得るための心身の修練、が重要な関心事になったのではないか。
監督はこの作品を、「生から死に至る時間の映画」と発言しているが、どことなく中年クライシスのようなものを感じる。
優れた映画だと思うが、それ以上に監督の思惑に目が向いてしまった。
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