『ホーリー・モーターズ』レオス・カラックス

人生を演じる男の不思議な寓話

ホーリー・モーターズ

《公開年》2012《制作国》フランス、ドイツ
《あらすじ》冒頭、監督レオン・カラックス自身が目覚めて劇場に現れ、120年に及ぶ映画史を上映するシーンから始まる。
朝、大富豪のオスカー(ドニ・ラヴァン)はリムジンに乗り込み、秘書らしき女性セリーヌ(エディット・スコブ)が運転する車内で変装し、数々の役を演じていく。
1)物乞いをする老婆:彼女は言う「みんなに嫌われながら生きさらばえている。死ねないことほど恐ろしいものはない」。
2)黒装束のアクション俳優:VFX技術によってアクションをこなし、相対する女性が蛇に変身して淫靡に踊る。
3)右義眼の怪人メルド:地下用水路から墓地を荒らし、女性モデルを連れ去って、彼女のひざ枕で眠る。
4)娘を迎えに行く父親:娘アンジェラは内気で非社交的なため、パーティーでもバスルームにこもり父親を失望させる。
インターミッション:アコーディオンを弾いて聖堂の回廊を練り歩く。
5)殺人者アレックス:復讐のため標的テオが潜むアジトに赴き、倒したテオを自分に似せて偽装するが、生きていたテオに逆襲される。二人は瓜二つだった。
6)大富豪のオスカー:車窓から狙っていた銀行家を見つけ、飛び降りて相手を射殺するが、護衛から銃撃を受けて倒れる。
7)息絶えようとするヴォーガン氏:ホテルの一室で床に就き、姪のレアに見守られて絶命する。
8)アレックス:『ポンヌフの恋人』の主役アレックスになり、ヒロインのミシェル(妻のジーン)と再会する。ミュージカル仕立てで二人は20年を振り返り、手を振って別れた後、彼女はパートナーと共に飛び降り自殺をする。
9)素顔のオスカー:長い一日を終え、帰宅したオスカーを迎えたのはチンパンジーの妻子だった。
ホーリー・モーターズには仕事を終えた多くのリムジンが集まり、セリーヌは仮面をつけて帰宅の途に就いた。残されたリムジン同士が語り合っている。

《感想》主人公オスカーが何者であるかは不明だが、リムジンでパリ市街を流しながら、富豪、物乞い、殺人者と、次々別の人物に変装しそれぞれの人生を演じていく。物語に繋がりはなく、ファンタジー感に満ちている。
そして仕事を終えたオスカーはチンパンジーの妻子が待つ我が家に帰り、それまで素顔だった運転手のセリーヌは仮面を付けて帰途に就く。それから先はまたしても謎だ。
監督自身が登場して映画が始まり、自作『ポンヌフの恋人』が登場するあたり、監督の映画人生をベースに、妄想とか夢を重ねて、そこにメッセージを託しているように思えるが、定かではない。
所詮、人は生きていく上で何らかの役割を演じているわけで、仕事と家庭とを演じ分け、相手によって別の顔を見せることもあるはず。人は演じることで、このままならない世の中を何とかうまく生きていけるのかも知れない。
その意味では、映画も人生もつまるところ虚構で、似たようなものかも。
少なくとも、レオス・カラックスにとっては映画=人生なのだろう。
仕事を終え疲れ果てたオスカーが家に帰り、玄関先でしばしの逡巡を見せるシーンに歌が流れる。「人は望む、生まれ変わりたいと。もう一度同じ人生を生きたい」と。祈りにも似た思いに寂寥感が漂う。
また、車庫に戻って眠りにつくリムジンの会話にも表れるように、(映画の)今後に明るい展望はなく「アーメン」の言葉にペシミズムさえ見える。
そこに、奇人に近い異端の芸術家の業の深さを見せられた気がする。
解釈は多様で、どう解釈するかを楽しむような、完成度の高い“変な映画”である。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、映画選びのモットーは温故知新、共感第一、ジャンル無節操、です。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマと愉悦を求めて、偏屈映画ジーサンをやっています。ボケ防止のレビューを書きながら。