『ドゥ・ザ・ライト・シング』スパイク・リー

差別、暴力、共生を深く見つめる

ドゥ・ザ・ライト・シング

《公開年》1989《制作国》アメリカ
《あらすじ》ニューヨークの黒人街。黒人青年ムーキー(スパイク・リー)は、イタリア人のサル(ダニー・アイエロ)と息子たちが経営するピザ屋で配達のバイトをしている。仕事が長続きせず、妻子がありながら、妹の家に居候していた。
サルはこの地で20年以上商売をしていて、仕事に誇りを持ち、この街や人に愛着を持っているが、長男は「この街ではあくまでヨソ者」と店を売ってイタリア人街に行きたいと思っている。
この街には他に、メイヤー(市長)と呼ばれる呑んだくれの老人(オジー・デイヴィス)、ムーキーの友人で活動家気取りのバギン・アウト、巨大なラジカセを持ち歩き音楽を流すラジオ・ラヒーム、街を見守る口うるさいマザー・シスター、黒人指導者の写真を持ち歩く知恵遅れの若者スマイリー、世間話と愚痴で時間をつぶすオヤジ3人組、スーパーを経営する韓国人夫婦などがいる。
猛暑の日々で住民はイラついていた。サムの店を訪れたバギン・アウトは、店の壁がイタリア系スターの写真で埋められていることに腹を立て、客が黒人なのだから黒人著名人の写真を飾るべきだと主張し、サムと大喧嘩になった。
バギン・アウトは街のみんなにサルの店をボイコットしようと呼びかけるが、彼のピザはおいしいと皆に断られてしまう。ただ、その大音量のせいでサルの店の入店拒否にあったラジオ・ラヒームと、サルの息子ピノと喧嘩したスマイリーだけは賛同し、三人でサルの店に乗り込んだ。
サルとラヒームは口論になりヒートアップして、サルはラヒームの大事なラジカセをバットで叩き壊し、ラヒームはサルに殴り掛かって、誰も手の付けられない大喧嘩へと発展する。
警官が駆け付け止めに入るが、警官は黒人だけを拘束し、怒り狂っているラヒームを何人もで押さえつけ、一人は警棒で首を絞めた。行き過ぎた押さえつけでラヒームは命を落とした。
その様子を見ていた黒人たちの怒りが爆発し、ムーキーはゴミ箱を投げて店のウインドウを割り、それを契機に一気に暴動になった。店内を壊し、レジの金を盗み、火をつける騒ぎへと発展した。
消防車が来て消火に当たるが、それを阻止しようとする黒人たちの間も争いになり、なおも黒人たちの「権力と闘おう」の言葉が響き渡った。
翌日、ムーキーはサルの店に給料を貰いに行って、クビを告げられながらも金を手にし、サムは店を失った怒りがまだ収まらなかった。
エンドロールに、「人種差別に暴力で闘うのは愚かである」というキング牧師の言葉と、「暴力を擁護するものではないが、自己防衛のための暴力を否定するものでもない」というマルコムXの言葉が流れる。

《感想》ニューヨークの黒人街で息子とピザ屋を営むイタリア人のサルは、怒りっぽい性格だが仕事を愛し、この街や人を愛していた。向かいには韓国人が営むスーパーがあり、これらの店を近隣の黒人たちは愛しているのだが、一方で異人種であるが故の妬みや憎悪の感情も抱いていた。そんなLOVE(愛)とHATE(憎しみ)がぶつかる群像劇である。
だが、一方的に黒人差別を告発・糾弾するものではない。暴力を振るう側と振るわれる側それぞれの怒りと、暴動に至るプロセスをより具体に描いている。
その一部始終を見守っていたのが、「Do The Right Thing(正しいことをしろ)」が口癖の呑んだくれ老人のメイヤーだった。彼とピザ屋のサムが、問題行動はあってもこの街では規範となるような長老的存在で、貧しい街の連帯感を何より大切にしていた。
一方、この街に住む黒人の多くは怠惰で愚痴っぽく向上心がないと対比的に描かれる。そして悲惨な事件は、警察の暴力にも問題はあるが、一部黒人の幼稚で無軌道な行動によって引き起こされたものと、黒人の側の問題を指摘する。
また、善悪がどちらにあるかはともかく、対立する両者の些細なすれ違いがおぞましい結果を生んでしまう、複雑で微妙な人間社会、人間の愚かさや滑稽さをシニカルな目で捉えようとしている。
その点において、白人対黒人の対立をスリリングに描きながらメッセージがよく見えなかった近年の『ブラック・クランズマン』よりも深い。
全編に流れる音楽は「Fight the Power(権力と闘え)」。彼らにとって「闘うべき権力とは何か」「正しいこととは何か」と考えさせられる。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、映画選びのモットーは温故知新、共感第一、ジャンル無節操、です。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマと愉悦を求めて、偏屈映画ジーサンをやっています。ボケ防止のレビューを書きながら。