『凱里ブルース』ビー・ガン

夢で輪廻の世界をさまよう

凱里ブルース

《公開年》2015《制作国》中国
《あらすじ》チェン(チェン・ヨンゾン)は凱里にある小さな診療所に勤務し、老女医と共に幽霊のような毎日を送っている。彼が刑期を終えて凱里に帰った時には妻は既にこの世になく、異父弟で遊び人のクレイジーフェイスとは折り合いが悪かったが、甥のウェイウェイを我が子のように可愛がっていた。
そのウェイウェイの姿が突然消えてしまい、弟の話では鎮遠に行ったという。チェンは彼を連れ戻すために鎮遠に向かうが、老女医が昔の恋人に渡すように預かったシャツとカセットを持って、二人を捜す旅に出る。
一人寂しく列車に乗り、若者のバイクタクシーや乗り合いタクシーを乗り継ぎ、再びバイクで蕩麦(ダンマイ)という村に着くが、ここは、過去の記憶、現実、そして夢が混在する不思議な村だった。
チェンはほつれた服のボタンを直してもらおうと仕立屋に向かい、若い女性ヤンヤン(クオ・ユエ)に直してもらう。チェンが床屋に行くと「もう閉店」と告げられ、ヤンヤンは仕事を終えて鎮遠で開かれるポップスライブに行くと言って店を出る。
【ここからカメラはヤンヤンを追う】ヤンヤンは渡し船に乗って対岸に着いて、風車のおもちゃを買い、しばらく歩くと吊り橋が現れ、そこを渡ると元の場所に戻っていた。先に閉店だと告げられた床屋に立ち寄ると、そこには何と散髪中のチェンがいた。
【ここからカメラはチェンを追う】チェンは亡き妻に似た理容師を相手に、自分の過去を友人の話として語り聞かせる。友人は金を借りたヤクザのボスの息子が殺され、その復讐を果たし9年の服役を終えて出所したら‥‥と。
その後、理容師と共にライブ会場に向かい、チェンは下手だと自認する歌『リトル・ジャスミン』を聴衆の前で歌った。
やがて「船が出る」という若者の言葉で、チェンは再びバイクに乗り鎮遠に向かう。若者の名を聞くと「ウェイウェイ」だと聞かされ、チェンは「これは夢か」と思う。
鎮遠の町に着いて、チェンは時計修理屋の車に乗る。この男はチェンがヤクザだった時代の兄貴分で、チェンの弟が息子を売りに出したと知って引き取ったらしい。子を失ってから子どもへの思いが深まったという男から、新学期にまた来いと言われ引き下がった。
そして老女医の昔の恋人は亡くなったと息子から聞かされる。老女医から預かったシャツは自分で着てしまい、カセットは理容師にあげてしまっていたが‥‥。
列車はトンネルを抜けて、チェンを乗せ凱里へと向かう。

《感想》主人公は行方不明になった甥を捜すために、仕事仲間の老女医から託された思い出の品を元恋人に届けるために旅に出る。しかし、途中立ち寄った小さな村で不思議な夢を見た。
その夢が40分超のめくるめく長回しシーン。村では不思議な少女に出会い、亡き妻に似た理容師と昔話をし、バンド演奏で下手な歌を歌い、一緒にバイクタクシーを走らせた若者は成長した甥の姿だった。
そこは時間も場所も超越した異空間で、あるはずのない光景に出会い、冥界を浮遊しているようだ。この間だけは映画と観客がスピードを共有して、途切れることのない映像世界に惹きこまれる。技術的な困難さもさることながら、鋭く新しい映像感性だと思う。
冒頭、「人の心は過去も現在も未来も捉えようがない(金剛般若経)」と語られる。男は夢の中の、過去や未来が混在した世界で何を見て、夢から覚めた時に何を思ったのか。
甥や老女医の元恋人を捜す旅のはずなのだが、本当は服役中に亡くなった妻への懺悔の旅ではなかったのか。たぶん妻との思い出の歌であろう『リトル・ジャスミン』にそれを感じた。
捉え難い過去に縛られている自分がいて、二人に未来はなく、現在の自分は“無”であること。悟ったのは諦観といったところか。
明確に訴えてくるメッセージはないので、解釈は多様。だから年を経て観たら感じ方が違うかも知れない。その意味では深い。
しかしその詩的で観念的な世界観には、やや一方的な押しつけがましさも感じる。好き嫌いは極端に分かれそうだ。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、映画選びのモットーは温故知新、共感第一、ジャンル無節操、です。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマと快楽を求めて、“映画バカ”をやっています。