運命の女性を捜しに夢の中へ
《公開年》2018《制作国》中国、フランス
《あらすじ》ルオ・ホンウ(ホアン・ジュエ)は、父親の死をきっかけに12年ぶりに故郷の凱里に戻った。ここでは、幼馴染の白猫がヤクザのヅオに殺されたり、母親が自分を捨てて養蜂家の男と出て行ったりと、良い思い出はほとんどない。
だが、香港の有名女優と同じ名のワン・チーウェン(タン・ウェイ)という女性の面影は、ルオの心をずっと捉え離れることがなかった。12年前、ルオはヅオの愛人だった彼女に出会い、彼女が何者なのか分からないまま、二人は深い仲になっていった。
そして、ワンがルオとの子どもを堕胎し、凱里に戻ったヅオに二人の関係がバレて、ルオはヅオのリンチにあうが、ワンにそそのかされたルオが映画館の背後の席からヅオを射殺するという過去があった。
父が遺したレストランの壊れた掛け時計の中から、女の写真とタイ・チャオメイという人物の連絡先が見つかる。ルオは刑務所に服役中のタイ・チャオメイという女に面会し、ワン・チーウェンについて尋ねるが知らないと言う。だが写真の女は旁海という町にいると教えてくれた。
旁海のホテルでワンを探すルオは、女ならダンマイのパーラーで歌っていると聞き、ルオはダンマイに行って、女の店が開くまで映画館で時間をつぶす。
ルオは映画館で3Dメガネをかけた。ここからルオは現実と記憶と夢が交わるミステリアスな旅に出る(漠とした夢の世界に入る)。
真っ暗な中、薄明りのライトで「ここはどこか」と探るルオの前に現れたのは牛骨を被った子どもで、出口を探すルオに卓球勝負を挑み、勝負に負けた少年は出口に繋がるリフト乗り場まで案内してくれた。
リフトを降りると、ステージでは歌謡ショーが行われていて、ビリヤード場とゲームセンターがあった。ワンにそっくりなカイチェン(タン・ウェイ二役)という女がこの店を仕切っていた。
閉店のため階下に案内され出ようとすると鍵が見つからない。ルオは「卓球ラケットが回れば空を飛べる」と回した。そして二人は歌謡ショーの上空へと飛び、しばらく飛んだ後、歌謡ショー会場に降りた。
会場にはイカレ女が火のついたタイマツを持ってうろつき、ルオはその後を付けた。すると養蜂家の家に着き、イカレ女はタイ・チャオメイと名乗ったが、面影はルオの母のようでもあった。その女からルオは時計をもらった。
ルオはステージ楽屋にいるカイチェンの元に行く。女が彼にくれた時計をカイチェンに贈り、お返しに花火をもらった。
そしてカイチェンが彼を案内した部屋は、母の思い出が残る部屋だった。そこでルオは呪文を唱え、キスをする二人の周りを部屋は回転し始めた。楽屋で火をつけた花火は、消えることなく火花を散らし続けている。
《感想》12年ぶりに故郷に戻った男は、忘れられない運命の女性を捜しに旅に出て、ふらり立ち寄った劇場で映画を観始めた途端、過去の記憶と現実がない交ぜになって混沌とした夢の世界に入ってしまう。
そこから先が60分に及ぶ長回しシーン。夢の中で、殺された少年時代の幼馴染に会い、男と出奔し自分を捨てた母親に会い、運命の女そっくりの女性に会って愛し合う。儚いはずの花火だが(夢の中では)消えることがない。
あまりストーリーを追っても意味がないのだが、殺された幼馴染の母親と自分の母の姿が重なり、胎児のまま葬られた子ども、行方知れずの元恋人への思いを胸に、さまざまな人への懺悔、過ぎた日々への後悔が見え隠れしながら、記憶の断片が夢で紡がれていく。
前作『凱里ブルース』と同様、描かれる世界は時間も場所も超越した異空間で、登場人物も判然としないし、予想外の展開をする。詩的で観念的な世界観はやや影を潜め、前作以上に映像に力がありファンタジー感が漂う。
3D映像でワンカットという実験的な手法は、夢の感覚を映像化するには最適なのだろう。また前作は、低予算映画のチープさ(それも魅力なのだが)に溢れていたが、本作は資金的に潤沢なようで、空を飛ぶ演出を含めスケールアップし洗練されている。
新奇さと映像力に長けたこの作風には目を見張るものがあるが、次作ではぜひ夢の世界から降りてもらいたい気もする。
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