サスペンスの中に家族愛と体制批判
《公開年》2019《制作国》中国
《あらすじ》冒頭、刑務所内の受刑者が、独房のトイレから排水路を通り、外に運搬される箱に隠れたら、それは棺で死体と一緒に埋められてしまう‥‥。
タイのツァンバンの食堂でそんな話をするリー・ウェイジエ(シャオ・ヤン)は、中国出身でインターネット回線会社を営み、映画オタクの善人として地域から慕われている。妻アユー(タン・ジュオ)と高校生の娘ピンピン(オードリー・ホイ)、まだ幼い下の娘アンアンと暮らしていた。
ピンピンが学校のサマーキャンプに行きたいと言うので行かせたが、キャンプから帰ったピンピンは機嫌が悪く、家族と会話をしようとしない。
実はキャンプの夜、警察局長の息子スーチャットがピンピンに目を付け、飲み物に薬を盛ってレイプするという隠れた事件が起きていた。更にスーチャットは、スマホで撮影した動画をネットにあげると脅して、交際を迫っていた。
心配した母はピンピンから事情を聞き出し、指定された場所に二人で出向き、スーチャットを迎える。スマホを奪おうと三人で揉み合いになり、ピンピンが近くの鍬でスーチャットを殺してしまう。母はその遺体を敷地内の叔父が埋葬されている墓に埋めた。それをアンアンが見ていた。
その頃リーは、仕事でルオトンに出張していて、夜はムエタイの試合を観ていた。帰宅して事情を知ったリーは「家族を守ろう」と決意する。
殺害現場でスーチャットの車のキーを見つけたリーは、車を捜して乗り込み発車させたが、それを警官のサンクンに見られてしまう。それでも検問や防犯カメラを避け、車を郊外の湖に沈めた。
その後リーは、アリバイ作りのために家族旅行をして、行く先々で印象に残る出来事を起こし、家族には事情聴取に向けて予行演習をさせた。
やがて湖から車が発見され、キャンプ参加者名簿からピンピンが捜査線上に上がる。スーチャットの母である警察局長は、リーの家族を強制的に連行し事情聴取を行うが、彼らの供述に矛盾はなく、証言の裏も取れていった。
リーの趣味が映画鑑賞だと知った警察局長は、彼の視聴記録を調べ、『悪魔は誰だ』という映画で、時系列をずらして編集するモンタージュの技法が使われていること発見し、「それだ!」と思う。家族で出かけた日がスーチャットの失踪日であったかのように、後から証言者に記憶を植え付けたものと気づく。しかし証言と映像は確実な証拠なので身動きがとれない。
そこへ渡米していたスーチャットの友人が帰国し、キャンプでのレイプ映像を警察局長に見せる。再びリーの家族を連行した警察局長は、末娘のアンアンを脅して自供を引き出した。その供述を基に、警察が墓地を暴くと中にあったのはヤギの死骸だった(事前にリーが遺体を移していた)。
この件が市民の怒りを買い、デモや暴動を起こす大問題になり、警察署長は無期限停職、夫の市長候補は出馬辞退となる。数日後、夫妻から息子の生死を知りたいという切実な願いを聞いたリーは、子を思う親の気持ちに触れる。リーはマスコミを前に殺害を告白し、自首した。
刑務所で掃除をするリーの横を棺桶が運ばれていく(冒頭シーンに繋がる)。
《感想》愛する娘が不良少年に暴行され、娘が誤ってその加害者を殺してしまうが、映画オタクの父親は家族を守ろうと、映画の知識をヒントにして殺人の隠蔽工作に走る。
不良少年の母は警察局長、父は市長候補の名士という権力者家族。それに対して主人公は幼い頃に中国からタイに移住し、無学ながら堅実に働き、周囲から愛される存在として描かれる。
権力対庶民の構図があって、悪役は市民を守るはずの警察側。警察権力の横暴を徹底的に描いている。その一方、子に甘い母でもある警察局長は、職を離れれば人の親という一面を見せる。サスペンスの中に親子の絆という家族ドラマと体制批判の社会派的色合いをうまく織り込んでいる。
本作は中国映画だが、監督はマレーシア出身で、映画の舞台はタイ。検閲の厳しい中国のことなので、舞台を移しての中国体制批判と取れる。エンドロールに流れる曲は「翼を広げて鳥のように自由に飛びたい」と歌うメッセージソングのようで、そんな含みが窺える。
惜しむらくは、被害者であり加害者である娘ピンピンの思いが、父親の強引さの陰に隠れてしまったことか。彼女の葛藤がもっと深く描かれていたら、更に濃密な家族ドラマになっていた気がする。
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