善と悪、聖と俗、宗教を問う
《公開年》2019《制作国》ポーランド、フランス
《あらすじ》20歳のダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)は殺人罪で少年院に収容されているが、厳格なトマシュ神父の教えで信仰心に目覚め、神父の信頼を得るまでになっていた。そのダニエルの仮退院の日が近づいた。
ダニエルは神父になりたかったが、犯罪歴のある彼は神学校に入学できず、紹介された製材所で働こうと少年院を後にした。
翌日、ダニエルは小さな村の製材所に着くが引き返して、ふと目に入った教会に立ち寄る。そこでマルタ(エリーザ・リチェムブル)という少女に問われてダニエルは咄嗟に「僕は司祭だ」と嘘をつき、間もなく修道女の母リディアを通して、教会の司祭ヴォイチェフ神父に紹介された。彼は自分のことを「トマシュ」と名乗った。
ヴォイチェフ神父は重度のアルコール依存症で、検査をする数日間、ダニエルに司祭の代理を頼んだ。村人たちは彼を本物の司祭と信じて告解に訪れ、ダニエルは『告解の手引き』を手に説教をして、その場をしのいだ。
村には6人の若者の写真を飾る献花台があり、1年前に起こった車の衝突事故で7人が死亡し、その車にはマルタの兄も乗っていた。写真が1枚不足しているのは、衝突した車の運転手スワヴェクの飲酒運転が原因として遺族の怒りを買っていたためだった。
ダニエルは村人に「叫び泣き感情を解放する教え」を説いた。風変わりだが率直な彼の言動は村人の心を掴み、受け入れられていった。
事故の真相を明らかにしたいダニエルとマルタは、住民から嫌われ引きこもっているスワヴェクの未亡人エヴァを訪ねた。エヴァは遺族から送られたという怒りと憎しみの手紙を見せ、スワヴェクは長年断酒していて検死でも陰性だったこと、だが家庭のトラブルで自殺しかねない心理状態だったことを明かした。一方、若者たちが酒を飲んでいたことも分かるが、真相は見えない。
ある日、少年院で一緒だったピンチェルが現れた。製材所に勤める彼は、ダニエルが司祭をしていると知り、口封じに大金を要求してきた。
しかしその翌日、ダニエルは「私は人殺しです」と皆の前で告白し、村人を動揺させる。更にダニエルは、ミサで集めたお金をスワヴェクの葬儀に使うと宣言し、遺族たちの反感を買った。遺族側に立つ母リディアと仲違いしたマルタは、ダニエルの元に向かい一夜を共にする。
ダニエルはスワヴェクの葬儀を行うが、それをピンチェルからの密告で知った本物のトマシュ神父が見ていた。神父は悲しみと怒りを露わにし、ダニエルに荷造りを促し、代わりに自分がミサを行うことにする。しかしダニエルは、ミサの参列者の前で突然裸になり、教会を去って行った。
少年院に返されたダニエルは、祈りに背を向けるようになった。彼を待っていたのは、かつて弟を殺された大男ボーヌスで、二人は決闘の末、ダニエルが頭突きで勝利し、その時誰かが火を放った。少年院が炎に包まれる中、ダニエルは血まみれになった狂気の表情で少年院から逃げ出した。
《感想》犯罪者が聖職者に成りすます。その若者の過去はほとんど謎に包まれているが、ニセモノの彼が説く教えはどこか切実で、その率直な思いが人々を揺り動かし救いをもたらす。宗教による救済とは何か、そもそも信仰とは何かという疑問を突き付けてくる。
また彼は、この土地で起きた凄惨な事故を知り、村人に根深く残る怨恨の闇を解き明かそうとする。真相は見えないまでも、一方の過失だけ問えない事故だったことを伝え、村人のわだかまりを消した。悪を作り憎むことで癒しを得ようとする人の弱さ、善悪の曖昧さを問う。
だから観客は、彼の行動がどんな方向に向かうのか分からないまま、奇矯な行動にハラハラしながら、人間の危うさや愚かさを目にすることになる。
だがラスト、彼は信仰に背を向けた。一時は加害者としての懺悔から信仰心が芽生えたものの再び世俗の底に戻り、信仰への疑念は怒りに変わって、若者のギラギラした生命力を見せつける。
唐突なエンディングで、彼の激情の内面を推し量るのは難しいが、怒り、悲しみ、苛立ち、諦めが入り混じった複雑で曖昧な心の内が垣間見えた。
エンタメ性は薄いが、“宗教と人間”を描いて心に重く響く力作だと思う。また、バルトシュ・ビィエレニアが見せる研ぎ澄まされた表情、内に秘めた純粋さと狂気、その鋭い眼差しがいつまでも脳裏に残る。
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