『ピアノ・レッスン』ジェーン・カンピオン

ピアノを巡る未開の地の不倫愛

《公開年》1993《制作国》オーストラリア、ニュージーランド
《あらすじ》1852年。6歳で失語症になった女性エイダ(ホリー・ハンター)は、娘のフローラ(アンナ・パキン)と大切なピアノを伴って、スコットランドから嫁ぎ先であるニュージーランドに引っ越してきた。
そこは未開の地で、夫となるスチュアート(サム・ニール)は原住民を連れて迎えに来たが、大きなピアノは浜辺に置いたまま。結婚式が済んでも、運んで欲しいという願いは聞き入れられなかった。
そこでエイダは、夫の仕事仲間であるベインズ(ハーヴェイ・カイテル)に執拗に頼み、浜辺に行ってピアノを弾く。エイダはピアノを弾く喜びに満ち、ベインズは美しいメロディを奏でるエイダに心惹かれる。
ベインズの土地が欲しいスチュアートは交渉に臨み、ベインズから土地と引き換えにピアノが欲しい、更にベインズ宅でのレッスン付きで、という申し出を受け、エイダは嫌々引き受けた。だが、ベインズにピアノを習う気はなく、エイダが弾くピアノを聴くだけだった。
数日後、ベインズはエイダに取引を持ち掛ける。それはレッスンに来る度に鍵盤を一つエイダに返すというもので、ピアノを取り戻したいエイダはそれを受け入れた。しかし、ベインズの要求はエスカレートし、鍵盤を数個あげると言って少しずつ服を脱ぐよう求めてきた。
やがて、スチュアートを頑なに拒んできたエイダだったが、ベインズとの距離は縮まり、鍵盤10個で二人は遂に結ばれた。
翌日、ベインズはエイダに「ピアノは返す。君は俺を愛せない」と言って、返され運び込まれたピアノの鍵盤に、エイダはベインズからの愛のメッセージを見つけた。
それからのエイダは、ピアノに触れても、森を見てもベインズを想うようになり、彼の元に走った。ベインズはエイダに愛を打ち明け、二人は激しく愛し合うが、後をつけてきたスチュアートに覗き見されてしまう。
怒ったスチュアートは、エイダに外出を禁じ軟禁状態にした。するとエイダはピアノの鍵盤に「ベインズ、私の心はあなたのもの」と記してハンカチに包み、ベインズに届けるようフローラに命じるが、フローラが向かったのはスチュアートのところだった。
スチュアートは更に激怒し、斧でエイダの人差し指を切り落として、その指をベインズに届けるようフローラに命じた。ベインズも激昂するがフローラに止められた。そしてその夜、スチュアートはベインズの家を訪れ「エイダと共にこの地を出て行け」と告げた。
翌朝、エイダ、フローラ、ベインズの三人は、ピアノを載せて原住民のカヌーで出航した。途中、重いピアノは海に捨てられ、ピアノを結んだロープに足を絡ませたエイダは海中に引き込まれるが、ロープをほどいて浮上し助けられた。
その後、北の町にたどり着いたエイダは指に義指を付け、ピアノ教師をしながら、ベインズやフローラと幸せな日々を過ごした。

《感想》口がきけないエイダにとって、ピアノは感情を表現する手段だった。なぜ失語症に、なぜシングルマザーになったかは語られないが、大事件があってそのトラウマによるものかと思われる。
心の支えだったピアノを海辺に置き去りにされた怒りと悲しみ。そんな人妻エイダを愛し始めたベインズは、彼女の気持ちを理解しようと努めながら、自らの欲望と葛藤する。
言葉を話せないエイダは、理解のない夫より、粗野だが自分の気持を汲んでくれるベインズに惹かれ、やがて誰より愛する存在になっていく。
そんな不倫のドラマなのだが、そもそも結婚自体に無理があったのではないか、という疑問が湧く。理解しない夫は悪者で、自分は被害者のように振る舞うエイダだが、結構身勝手なキャラで、女の意地悪さ、残酷さが垣間見える。
一方、男の側を見ると、別れを告げながら諦めきれないベインズも、激しく嫉妬しながら別れを切り出すスチュアートも、欲望とストイシズムが背中合わせにあって、気持ち通りに生きられない男の矜持もあって、同情めいた思いが湧いてくる。
これら男女が惹かれ合う本音が生々しく描かれ、思いと行動がチグハグにすれ違う愛憎のドラマは、やはり女性監督の手によるものと思わせる。ただ女性に振り回された感のある男たちの葛藤、孤独を思うと少し切ない。
女性目線か男性目線かで評価が分かれそうだ。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、映画選びのモットーは温故知新、共感第一、ジャンル無節操、です。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマと快楽を求めて、“映画バカ”をやっています。