『羊飼いと風船』ぺマ・ツェテン

国策と信仰が家族の暮らしを変えていく

《公開年》2019《制作国》中国
《あらすじ》チベットの草原地帯アムド。牧畜を営む働き盛りのタルギェ(ジンバ)は、妻ドルカル(ソナム・ワンモ)、老父、中学生ジャムヤンを筆頭に3人の男児と共に暮らしていた。この頃のチベットは近代化が進み、中国の一人っ子政策の波が押し寄せていた。タルギェは友人から種羊を借りて種付けに励み、まだ幼い子どもは配給されたコンドームを風船にして遊び、親に叱られている。
ある日、長男ジャムヤンが通う中学校に、尼僧の恰好をした女が彼の帰りを待っていた。ドルカルの妹シャンチェ(ヤンシクツォ)だった。そこを通りすがりに教師のタクブンジャガが見つけ声を掛けるが、気まずい空気が漂う。
二人は高校の同級生で元恋人。足早に去ろうとするシャンチェにタクブンジャは、自分の著作だという小説『風船』を渡した。
ドルカルは診療所を訪れ、何でも話せる女先生に避妊手術をしたいと相談し、来月に手術することを決め、女先生から手持ちのコンドームを貰った。
テレビでは試験管ベビーの報道がなされ、老父は「科学の進歩は自然の摂理に反する」と言う。まだこの地域では、魂は死なず人は生まれ変わる“転生”という仏教思想が生きていた。
尼僧シャンチェは仏法を広めるための寄付集めで帰省していた。タクブンジャから貰った本のことで、姉ドルカルと言い合いになり、二人のことが書かれたその本は、ドルカルによって燃やされそうになった。妹を捨て尼に追いやった彼をまだ許していなかった。そして後日、シャンチェに会いにタクブンジャが訪れた時、その本を突き返した。
タルギェが種羊を返しに行って友人宅で酒を飲んでいると、老父死去の電話が入る。急いで帰宅すると、既に大勢の僧侶が集まって読経をする中にあって、夜明けには白布に包まれた遺体をトラックで火葬場に運んだ。
数日が過ぎて、タルギェが高僧に「父の転生」について尋ねると、高僧は「まもなく家族に転生する」と告げた。
再び診療所を訪れ検査を受けたドルカルは、妊娠を告げられる。女先生からは「また産んだら罰金だから」と堕胎を勧められるが、帰宅してタルギェに話すと「父の生まれ変わり」と喜び、シャンチェも「魂が宿っているのに堕ろしたら死者が苦しむ」と言う。
しかし、毎日の労働と子どもの世話で心身共に疲れ切っているドルカルの腹は決まっていた。堕胎のため診療所に向かい、分娩台にいるドルカルの元に、血相を変えたタルギェ父子が駆け込んできた(手術が行われたか否かは不明)。
老父の喪が明けシャンチェが寺に戻るとき、ドルカルも一緒に車に乗り込んだ(行き先も目的も不明)。
羊を売りに町に出たタルギェは、風船を二つ買って帰り、子どもは喜び風船で遊ぶが、一つはすぐに割れ、もう一つは手を離れ空高く飛んでいった。皆が空の風船を見上げてエンド。

《感想》辺境の地チベットにも、国策の一人っ子政策や近代文明の波が押し寄せるが、現代でも牧畜という地道な暮らしを営み、「魂は死なない」という輪廻転生を信じている。そこに想定外の妊娠という事件が起き、産むか否かで葛藤し、平穏な日常が崩されていく。
男性や信心深き者は転生の神聖さを重んじて「堕ろすのは罪」と言い、貧しい暮らしの中で忍耐を強いられている女性は、家族の生活を最優先したいと願う。それぞれの思いが交錯して、家族の有りようが揺らいでいく。
事の発端がコンドーム風船で、子どもの遊びと大人の都合の対立と見るとどこか滑稽であり、国策と生活の衝突と見ると息苦しくもある。
強く感じるのは“あえて描かない”ことで想像を煽る、抑制された物語であること。尼僧シャンチェが仏門に入るまでの過去を具体には語らず、ドルカルが堕胎したのか否かも明かさず、彼女の行く末も謎のままだった。監督は映画としての結論づけをせずに、観客に判断を委ねたと語るが、中国の厳しい検閲への配慮もあるのだろう。
ラストシーン、赤い風船が一つはすぐに割れ、一つは空に飛んでしまうという、どこか意味深なエンディングだったが、“赤い国”と結びつけるのは考え過ぎだろうか。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操、が映画選びのモットーです。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマを求めて、“映画の旅”を楽しんでいます。