映像のコントで描く現代の寓話
《公開年》2019《制作国》パレスチナ他
《あらすじ》映画監督エリア・スレイマン(以下ES)は新作映画の企画を売り込むため、故郷パレスチナ・ナザレからパリ、ニューヨークを旅する。
冒頭、荘厳な儀式の中、司祭が扉を開けるよう命じるが、中からそれを拒否する声が聞こえ、司祭は裏から入って男を倒し、扉を開けて映画が始まる。
ある日ESは、隣に住む男が庭になる果実を盗みに入り、そのうち木の間引きや水やりを始め、やがて果樹の世話をしている姿を目にする。また、隣に住む老人は、蛇の恩返しの夢を語る。二人は仲の悪い親子だった。
レストランで料理に言いがかりをつけ、タダ酒をせしめる客の男女。双眼鏡を覗き近くの悪事に気付かない警官、そんな姿を目にする。
林に入ると女性が、二つの荷物を一つずつ運んでは戻りまた一つ、と面倒な動きを繰り返している。車を走らせると、後部に目隠しの女性を乗せた怪しげな男二人を見て、関わりを避けようと逃げ去った。不穏な日々である。
そんなナザレでから、ESはパリに向かった。カフェのテラス席に座ったESは行き交うオシャレなパリジェンヌに魅了されるが、ここでも不思議な光景に出会う。逃げる男をセグウェイで追う警官、教会の炊き出しに並ぶ大勢の人たち、路上生活者に食事を配給する人。
翌日外を見ると、まるで戒厳令下のように通りにも広場にもひと気がなかったが、しばらくすると轟音と共に何台もの戦車が通り過ぎた。
地下鉄に乗るとタトゥー男から威圧的に睨まれ、恐怖を覚える。表の顔と裏の顔が見えてきた。
さて目的の企画持ち込みに映画会社に行くと、プロデューサーから「パレスチナ色が薄い」と断られた。
再びカフェのテラス席に戻ると、席の採寸検査をする警官が現れ、ヘタなサックス演奏を始める男がいて、平穏な日常に戻った。
次に向かったのはニューヨーク。夜の街をタクシーで走ると、運転手から「どこの国?」と聞かれ、パレスチナと知るとイエスの故郷と喜んでタダにしてくれた。銃社会とはいえ、街行く人が皆スゴイ銃を手にしている。
公園の天使の羽をまとった少女は、衣服を脱ぎだしたところを警官に囲まれてしまい取り押さえられたが、羽だけ残して少女は消えた。
次に映画学校の講義に出たES。教師から「あなたは真のノマド(流浪民)か?」と問われ黙ってしまった。
映画会社メタフィルムを訪れ、友人から「次は中東の平和をテーマに作品を撮る予定」と紹介されるが、プロデューサーからは一笑に付されてしまう。
ESは旅を終えて帰国した。隣人は悪びれることなく、当然の仕事のように果樹の世話をしている。林で荷物を運ぶ女性は、二つの荷物を頭上と手に持ち、時折持ち替えながら歩くようになっていた。世の中は少しずつ変化している。
クラブでは賑やかな曲に合わせ若者たちが踊っている。これは世界中変わらない。
《感想》意味がありそうで無さそうなエピソードが延々と続き、何も語らないから分かりにくい。しかし、その分かりにくさの先に結構深い世界が広がっていそうで、ややこしい世界に辟易するか、想像の世界で遊べるかによって評価が分かれる。
庭の果実を盗んだ隣人は、やがて果樹の世話をするようになるが、隣人との良好な関係構築なのか、それとも静かに侵略されているのか分からない。
二つの荷物をうまく運べなかった女性は、やがて運ぶ要領に気付く。技術習得による進化である。このように人も人間関係も刻々変わっていく。
世界に目を向けるとそこには表と裏の顔が見える。パリで美しい女性と景観に見惚れていたら、街を走る戦車や、貧困に喘ぐ人々の群れに驚いた。
ニューヨークでは、街行く市民が銃を持ち、パフォーマーの少女と警官の捕り物ごっこを目にするが、これが自由の国の現実か。
平和と秩序が維持されている街のはずなのに、いずこも綱渡りの平和のようで、故国パレスチナと変わらない。そんな何処にいても不穏な世の中だが、身近なエピソードは、人はいつしか変われるという暗示のようでもあり、微かな希望を抱かせる。
映画は、鋭い風刺と豊かな映像美に溢れ、“可笑しくも愛おしい”独特の世界観で描かれていて、特に仕事中の主人公にまとわりつく小鳥を何度もどかすシーンが印象に残る。小鳥と主人の愛ある戯れなのだろうが、両者の節度ある距離感が何より大切なのだと思えた。
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